No5. 今銀行が信用されていない

=悪徳銀行には「預金取り付け運動」を=
=銀行家は銀行の役割を根底から問い直すべき=
               99. 1.10  藤島公平

 従来、銀行とは預金の管理でも、資金の貸し出しでも常に国民の信頼のもとにあった。だから人々は大事な自分の財産の一部を預金しても、通帳という簡単な証文で安心しておれた。また資金の融資を受ける場合も、「街金」といわれる高利貸しの様に、下手をすると「金融地獄」に陥とされるようなそんな心配もなく、適正な金利で融資がうけられた。

 ところが最近人々は銀行が信用できなくなっている。一つには、拓銀や長銀の破綻のように、いつ自分が預金している銀行が倒産するとも分からないという社会現象もあるが、最近の不信の原因はもっと別のところにある。

 昨年末の国会でも話題を呼んだが、「貸し渋り」の度を超して、財産の横領まがいの資金の回収がおこなわれた事実である。
 会社の経営者が、銀行からの融資がなかなか受けられない中で、走り回ったあげく、国民金融公庫や保証協会を通じた国や県等の制度融資を受けることができて、「これでやっと年末が越せる」「これで手形が落とせる」と安堵した。融資実行日に勇んで銀行にいってみると、何と融資されたはずの資金が消えている。銀行に問い合わせたところ、銀行は平然と「当行の融資の返済にあてさせてもらいました」と回答したという。これはまさに窃盗もしくは横領にあたる重大なことである。

 預金は法的な処置が無い限り、名義人の侵すことができない財産の一部である。その管理を銀行は預金者に委任されただけである。このことと融資に対する返済義務とは別の問題である。もし銀行が融資に対する返済の担保として預金を差し押さえる場合は、法的な処置をとって初めて可能なことである。従って上述のことが事実とするならば、銀行が他人の財布から勝手に金を持ち出した窃盗か、もしくは他人を安心させて金を預けさせておいてそれを勝手に処分する横領又は詐欺にあたる。
 ただ被害者は即座に倒産に追い込まれ、こんな不当な銀行を裁判に訴える余力もないことを知った上でのことと思われ、その銀行の卑劣さは許し難いものである。

 こんな「銀行」が果たして人々が従来信用してきた銀行に値するのか。答えは絶対にノーである。それどころかこんな「銀行」はみんなでつぶすべきだ。

 私はこんな銀行は公表し(勿論公表された銀行もいくつか出ている)事業者だけでなく市民も一緒になって「預金の引き出し」市民運動を起こすべきだと考える。預金を引き出し他の銀行に移し換えよう。どうせ大した金利は付かない世の中、定期預金・定期積立を中途解約したからといって大した問題ではない。それよりもこんな悪徳「銀行」は市民の手で葬りさることである。そのことが他の銀行にも本来の銀行の姿を考え直させる機会にもなるだろう。

 もし私の依頼会社に対して、上述のような不当なことを銀行がした場合は、私はその銀行の前で、拡声器で市民に「預金取り付け運動」を絶対に呼びかける覚悟でいる。

 今、恐慌状態ともいえる厳しい経済状況の中で、だからこそ銀行の役割は大変大きいと思っている。企業が「リストラ」の名目で首切りをし、中小企業はどんどんと倒産している。いま消費不況とも言われているが、消費しようにもその源である給与収入が無くなったのではどうしようもない。また何時自分の首が飛ぶのかも分からない世の中。

 こんな閉息状況を変えるのは勿論政治の問題が大であることは分かっている。しかし、そのような中でも、銀行が頑張って地域の中小企業を1年,2年持ちこたえさせることで、その地域の経済は持ちこたえるかもしれない。また資金不足の中で起業している開業者を支援することで、その地域の経済は少しづつであるが活性化するかもしれない。あくまでも「しれない」だがそのことを銀行は、その持ち分の地域でやれるかどうか真剣に考えてほしいと思う。

 銀行は資金を貸して利子という収入を得る。貸さなければ銀行として成り立たない。つまり銀行は、回りに資金を必要とする企業があって初めて成り立つ。企業がつぶれて、銀行だけになったのではその銀行も存立し得ない。その関係を今こそ銀行家は根底から問い直すべきときだと思う。
                99. 1.10   藤 島 公 平
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