No8. そもそも「リストラ」ってなんだったのか?
      
                        99. 5. 1  藤島公平

 今どこでもかしこでもリストラという言葉が乱れ飛んでいる。リストラのもとで大量の失業者が生まれ、大量の生産設備が廃棄されている。リストラというのは本来こういう意味だったのだろうか。

 リストラは言うまでもなく「リストラクチャリング(Restructuring)」の略である。つまり経営再構築ということだそうだ。バブル崩壊以降の経済の長期低迷、グローバル・スタンダードという名の外的圧力、そして金融ビッグバーン、規制緩和等々。経営を取り巻く環境は激変している。その激変の中で、従来の経営を従来のままただ続けていくだけではダメで、根本的経営の建て直しが必要とされてきた。その中で生まれた言葉がリストラである。
 リストラでは、企業が経営戦略を練り直し、既存の経営資源を再評価し、その配置を換え、企業の活力を取り戻そうということだったように思う。そこには前向きの響きがあった。
 経営資源と言えば、よく「人、物、金、情報」などとよばれるが、特に「人」についてその能力を再評価し、従来の技術と経験の上に、さらに既存の枠から転換できる発想がもてる人材へと再教育し、再配置をすることで企業の活性化を促そうというものであったはずだ。

 そのための前提は、まず経営者自身が過去の経営の反省と発想の転換をし、新たな経営戦略を立てること。そしてそれを社員に提示し、その中で社員に前述のような発想の転換を求めるような再教育、再配置をとおして、新たな経営戦略への理解と意欲を沸き立たせることが本来の言葉の意味ではなかったのか。

 ところが経営者はまずバブル時代の反省をまずしない。日本人的悪弊がここにある。自ら腹を切ろうとせず、全てを部下に押しつける風潮だ。反省せず、自らの保身に走るから、新たな発想の転換などとても出てこない。なぜなら発想の転換をするとまさに経営者自らが「無用な人材」となるからである。
 そこから「リストラ」は経営責任の逃れるための手段と化した。経営者は、不良債権、不良資産を生んだ責任から逃れるために、企業の切り売り(分社化→外資などへの吸収、子会社の整理)や社員の首切り、下請け企業の切り放しにやっきとなる。
 例えばある部門を閉鎖する。そこには他の部門でも十分役に立つ人材がいるとしても、ほぼ全員が解雇されるケースが多い。そこには永年会社に貢献し、しかも今後も貢献するであろう大事な人材をみすみす切り捨てている。とてももったいない現象が見受けられる。
 はたして五年、十年、二十年を見渡した経営戦略がそこにあるのだろうか。その戦略を遂行する人材を確保することも、戦略の重要な一部を構成するはずだが、その点が抜けているように思えてならない。

 結局、「トップに立つ人間が自ら謙虚に反省すること」の原点が抜け落ちていることがこの問題でも出てくる。日本の様々な問題を考えるとき、常に出てくることである。
 経営者がよく経営哲学とか、時には武士道を説くことがあるが、そのような経営者に限って、とはいわないが、本当に「腹を切ること」の意味が分かっていないように思える。

 今後は「リストラ」という言葉を使わずに過去のように、「首切り合理化」とか、「企業の投げ売り合理化」とか、「経営者の責任逃れ整理」とかという言葉を使った方が適切であるし、マスコミもそのように表現すべきである。
                                    99. 5. 1


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