No15. 商店街問題への反応
=寄せられた意見をそのまま掲載しました=
                           99. 9. 4 

 拝啓、お世話になります。藤島様のホームページを拝見致しました。
 地域に根ざした商店街なら生き残れると私も思います。この地域性の欠如が商店街の最大の弱点だと思っております。防府の商店街で思いますのは商店主がそこに住んでいないことが商店街の商店主をしてサラリーマン化させている気がします。
 祭りなどを例に取るまでも無く商店街のすべてのイベントが自分たちの楽しみではなく、やらなければならないことという義務化したものを感じます。商店街のある地域を商店主は自分の街として愛していない気がしてなりません。
 体質は一度身につくとなかなか脱却できないものですがすでに補助するのが当たり前とか、もっと金を出してくれなきゃというような言葉さえ聞きます。なにか変です。
(K社 K・K氏)

 電子メールを受け取りました。有難うございます。いつも、しっかりとした考えの元に「主張」されておられれることに先ず、敬意を表します。
 貴殿の主張は全体として、大いに共感できます。富山市内もほぼ似通った「商店街活性化の問題点」が顕在化し、決め手に欠ける施策ばかりが取り沙汰されています。遅々として進まない旧商店街と、一方では、郊外に大型店が勢い良く出店しており、正に、弱肉強食と状態です。サポートの依頼があれば、「個人店で生き残る経営」を指導したいものです。
(S.M氏)

 総論的にはご指摘のとおりだと考えます。商店街活性化やあき店舗対策、或いはまちづくり株式会社等様々な試みが行われ、批判も出ているのも事実でしょう。要は成功すればいいのだと思います。私も永年デザインという広い概念、観念を通して作品づくりではなく、企業の活性化・蘇生、すなわちデザインマネジメントを多数山口県下でも実施してきた経験からいって、現状の商店街を私に活性化してくれといわれても難しいと思います。但し、この条件をのんでもらえれば別です。「全て私にまかせてくれる」勿論、成功報酬を含めて。ならば本気で成功して見せますといった自信はあります。経営は生き物、経営は財務管理だけでは駄目、経営戦略との車の両輪のごとく動いて初めてなしえるものです。こうしたことを成し得る人が学者であったり、行政であったり、地域に複数いるとは考えられない。経営とおなじでトップ一人です。経営はボランティアではありません。私は過去の商店街の歴史的変遷。神社仏閣等で行われる催事にさいして出店していった仲店街や西洋の様に教会等でのミサに人が集まることを条件に発展していった市「メッセ」を考えると既存の商店街の助かる道は極めて狭いと思います。悪しき慣習や意識を取り除くためにもいったん解体することが成功の道かも しれません。永きに渡って衰退した訳ですから外部治療では助からないのではないでしょうか。もし、しゃしゃりでてる先生や偽善者や若者がいるならやらせればよい。そのかわり商店街は致命傷を負うことの覚悟とかかわった人の責任は問うべきでしょう。私の経験上、構想の段階で成功は読めるものです。それ以外の構想はやるべきでは無い。賢い企業は試したりしません。成功しないということは能力が無いということでしょう。
(B社)

 重大なテーマ、小生の頭では判断しかねます。要するに、山口県では、どの商店街へも足を運びたくないけれど、大阪へ行けば、心斎橋周辺の商店街へは足が向く。回答のようで、回答でない、すみません。
 それから、ページのフォントサイズや配色が、読みずらいです。すみません。プリントアウトするにも・・・・。
(匿名)

 藤島公平様 MLありがとうございます。「商店街活性化の原点 そもそも商店街は必要なのか」 。私は商店街はなくても良い商品は必要と考えます。
(M社 N・M氏)

 商店街の件ですが最近自分が取組んでいることが、商店街の活性化の意向を持っているわけではないのですが、結果的に商店街の活性化のプランの一つになっていることがあります。
 明日、KRYの県民アワーと言う番組の取材をうけるのですが、商店街の活性化についても触れてみる予定です。
 僕の商店街に対する考えは、商店街店舗の集中化によるエリアの縮小と遊べる商店街です。
(K社 S.N氏) 

 ホームページ商店街について早速読ませていただきました。いつもながら的を射た論文にただただ恐れ入っております。
 商店街問題・・・・。どこもここも今や悩みのたね。我がまち徳山市でも、核店舗であるサティーの撤退で状況は最悪。現在、論文にもありました対策の一環で100ショップのダイソーを誘致し、1Fと地下のフロアに10万点の商品を並べ核店舗あとの再利用をはじめたばかりです。
 この件については賛否の分かれるところでありますが、モルヒネの感は強く、永続的な発展は見込めないとの声が圧倒的です。そもそも、このプロジェクト自体、永続性ではなく、水漏れパッキンの要素が強いだけに、その効果をどう評価するかという根本的な問題があります。
 さて、貴兄が締めくくっておられます、「商店街活性化の原点 そもそも商店街は必要なのか」今打ち出されているTMO方式(Town Management Organization)も、まず自分のところの商店街が必要とされているのかどうか、そして、本当に必要とされているのであれば、周辺市民とともに、商店街だけを視野にいれるのではなくて、「共同生活圏づくり」という視点で取り組むべきだと思う。についてですが、
 この問題のまとめの一つの方法としてワークショップが有効であり各地で実施されており私もその手法に取り組んでおりますが、「必要性の復活の可能性はあるのかを、商店街の人達だけで考えるのではなく、周辺市民も巻き込んで考えることから出発すべき」の部分で、もし、不要!との判決が下った場合・・・・。そこを直視できるか・・・・。が最大のポイントだと思います。
 もっと言えば、不要の選択肢を残したうえでの「要」判決でなければ本物ではないということ。しかし、現実に、ワークショップや調査を開始する前提は「要」であり、たとえ「不要」があったとしても詭弁で曲げられ、結果「要」をひねり出す・・・。本当の危機感の上に話し合いが成立していないという問題があります。物事が始まる前にはすでに回答があるという日本の会議の体質というもっと深い問題があるように思います。
 (P社 K,O氏)

K・O様へ
 早速私の拙文に対しましてご意見をいただき、感謝申し上げます。
 あなたのご意見にありました様に「不要!との判決が下った場合・・・・。そこを直視できるか・・・・。が最大のポイントだと思います。」のとおりだと思います。ただそこまでシビアーに存在意義を根底から考える作業があってこそ、その結果として効果ある対策がででくるはずなのに、その辺りがあいまいではないかと思うのです。
 それと、私は商店街不要論を主張しているわけではなく、商店街問題を考える際には、まず貴方のいわれるように「ワークショップや調査を開始する前提は「要」であり」と思います。「要」を前提にしなければ関係者に考える意欲など湧いてくるはずがありません。ただその「要」の意味を良く考えないと、結局はカンフル注射を打つだけに終わるか、それどころか街並み改造方式などでは、各店に莫大な負担を半ば強いるわけですから、被害者をつくってしまうことにもなるのではと思ってしまいます。
 それと地域にお客さんがいない、又は大型店にとられているということから、外からのお客さん=観光客に頼ってしまうやりかたも安易すぎるように思います。
 私の言いたかったことは、舌足らずでよくわからなかったかと思いますが、地域共同体の復活が必要だというのが結論です。その中で商店街問題も考えるべきでないかということです。祭りの問題を重視していますが、祭りにはその問題が集約されているからです。 
 最近の祭りは、やる人と見物人とがはっきりと区分されている。そうでなくて、誰でも企画段階から参加でき、当日飛び入りでも参加でき、地域の者が1日馬鹿になって踊り、歌うなかで、地域の存在を確認し合う場であったらと思います。それは豪華である必要はないのです。
 もちろん取り仕切る人はいるわけで、それは地域の長老的な人に出番を作ってあげればよい。そして子供たちにも役割を与える。高校生には中学生の面倒、中学生には小学生の面倒...と子供を単なるお客にすべきでないと思う。
 私が元居た町内会で毎年夏祭をやっていましたが、花火をやるときに子供にやらせると危ないからと大人がやっていた。私の意見で高校生、中学生に監督させて小学生以下の子供たちにもやらせようということになり、親達は口を挟まないことにしました。中高生の少年たちは、半ば威張りながら、半ばかわいがりながら小さい子供達の面倒をみていました。中高生たちにも自分達の活躍場所、居場所ができたのです。
 また毎年「例年どおり」の企画となっていましたので、主催する大人達にも面白い企画をやりましょうと提案し、公園でそうめん流しをやることになりました。竹の切り出しから節の切り取り、ちゃんと流れるかの実験までやりましたが、みんな昔を思い出したりして楽しそうでした。こんな姿が地域だと思うのです。皆が何らかのかたちで「やるひと」になる祭りが理想だと思います。「やるひと」同士の交流こそ本物になる。
 最近の核家族化の中で地域というものを面倒なものと思う人が増えているそうですが、本当の地域の良さを知る機会がなかったからだと思います。
 地域の中にある商店街の意味を商店街の人達が理解すること。地域をもともとあった生活共同体に復元する努力がいると思います。そのときに商店街の人だけで、商人だけで悲壮感ただよわせて、キバッてやるのではだめだと思うのです。地域に働きかけ地域の人の知恵や力を借りて、地域の復元化のなかで商店街問題も考えること、そのことを言いたかったのです。
(藤島)

 メ−ル,有り難うございました。商店街活性化の原点,読ませてもらいました。今,下関市でも中心市街地活性化の対象地区に設定されたあるかぽ−とで,新水族館建設が始まり, 下関市−唐戸間を整備,開発に対し先日もセミナ−&パネルディスカッションが実施され「整合性に疑問」の声もでてまいりました。.....過去のペ−ジも見せてもらいました。建設的なご意見をお持ちのようですが(中経協山口支部を発足,支部長として活躍されては如何ですか?)興味をお持ちでしたら,資料を送らせてもらいます。
(T社 Y・S氏)

 前略 論文読ませて頂きました。大変参考になり、また意識を新たにしました。
 私はこの山口県内でグラフィックデザイン並びにホームページ作成などのマルチメディアの仕事をしております。県内にはグラフィックデザイナーでいわゆる「先生」として活躍されている才能ある人々もいます。私は結果的には表で活躍できるタイプではない様ですが、地域には関心を持っております。
 ご主旨殆どの点で同感です。私はかつて他のデザイナーから「商店街活性化の為に、シャッターにペイントを施そう」といった提案が出された時、冷ややかな感想を持ちました。というのは、「規制緩和」「郊外型大型店進出」は自由競争による当然の流れであり、更には「インターネット」というテクノロジー発達の要素も加わり、今さら商店街活性化が必要なのだろうかといった気持ちでした。しかし、御指摘のように地元商店街とはまさに地域の人々によって構成されている事に気がついたのです。大型店は殆どが地域外資本です。儲からなければ躊躇なく撤退します。まさに同感です。
 ここで藤島さんの論旨にもう一つ付け加えて頂きたいのは、前出の「インターネット」です。今の商店の機能の殆どはインターネットに移行します。ネットワーク上のみで金銭の授受が可能になります。まさに貨幣の進化です。我々が体感するあらゆる情報はネット上で受け取れるようになりますが、物だけは運ぶことはできません。
 人はなぜ商店に行くのかと言えば、ただ物を買う為だけに商店に足を運ぶのではありません。商品に触れ、消費行動を楽しむという要素もあります。従って、インターネットの進展で商店が縮小していくとは言えません。御指摘の「祭り」や「エンターテインメント」の要素がますます強まっていくのではと思います。
 また、「規制緩和」の問題ですが、現実的な規制緩和の施策には色々問題を抱えていることも事実ですが、これによるベンチャービジネスの振興という事も言われています。私自身も15年前からパソコンを助っ人にデザインを始め、今思うと最近話題のSOHOといっても良い存在だったと思います。日本は今迄一般に自営業の評価が低く、また事業者の独立心もあまり強くなかったと言われています。
 確かに、今迄の様な商店街といった形態はもしかしたら必要ないのかも知れません。こうしたことを考え合わせながら、新しい形の産業(商業)形態を模索して行けたらと思います。私はいまインターネットに注力しています。マルチメディアで何が出来るのか考えています。何か新しい情報がありましたら、また何かお手伝いできる事が有りましたらお知らせください。
(K社 G・K氏)

 意見を御寄せいただいた皆さんに感謝申し上げます。今後もご意見がありましたら遠慮なくお寄せください。ご希望があれば実名で掲載も致します。ありがとうございました。                      99. 9. 4



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