99.10. 6 藤島公平
自自公連立内閣が登場した。その中で何か注目を集めたいと思ったのか、小淵首相は、来年夏に2000年にちなんで、2000円札を新規で発行すると発表した。最初は記念的に一時的な発行かと思っていたら、そうではなくずっと発行し続けるという。
早速、各新聞は、新札の発行によってパルプ、自動販売機、自動券売機、ATM装置などの業界の需要が喚起され、景気浮揚に一役買うとの報道があった。新内閣が誕生するとだいたい各紙「提灯(ちょうちん)記事」を載せる傾向にあり、これもその一種と思う。しかしこんな愚策をこの時期に打ち出すのは全く遺憾である。
最近、公共事業の垂れ流しとか、金融機関への資金注入が問題となっている。これらは「悪名高き」政策の代表といわれている。
しかし、例えば公共工事が全部が無駄なわけではなく、下水道や道路の整備、福祉施設の建設など庶民がその恩恵に預かっているものもあるし、産業道路の拡幅で物流の効率化に貢献する場合もある。そしてそれを受注した地方の中小企業にとっては仕事の確保、雇用の確保に一役買っている。問題にされているのは、一部ゼネコンの延命のために、急ぐ必要もなく役にも立たない巨大プロジェクトを起こそうとする、無駄な公共投資にあるのであって、公共投資全体を悪者にする必要はない。
金融機関への資本注入は、長銀問題に象徴されるように約5兆円弱の税金を投入して、そのあげく外資に10億円で営業譲渡するなど、どう考えても馬鹿馬鹿しく無駄になっているものもある。が、百歩譲って考えるなら、金融破綻の連鎖をくいとどめる効果があったと、こじつけてでも説明ができる。良いことかどうかを脇におけば、バブルに踊った放漫経営の債務の棚上げで倒産を免れた企業が存在したのも事実である。そのことで将来の国民に莫大な借金を背負わせることになるという無責任な「先送り」を別にするならば、一定の経済効果はあったというべきかもしれない。
ところが2000円の新札の件はどうであろうか。
まず庶民にとっては何の利便性も与えない。千円札2枚が1枚になって財布が益々軽くなるだけである。
ある種の産業界には新札関連の需要が起こると説明されている。ところが、その為にその分だけある種の業界ではいらぬ経費が増加することになる。つまり、券売機や自動販売機、レジスター関係など、まだ更新時期に来ていない設備を無理矢理更新させられることになる。リストラ(産業再構築)という名目で「過剰な生産整備を廃棄すべき」と評論家が言うが、それでさえ過剰生産でしかも遊休設備のことを指して言っているのであって、現に有効な設備の更新をしろとは言っていない。ところが今回の場合は有効設備の中途廃棄である。しかもそのうえ、その設備を投資した企業にはそのことで収益のアップに直接つながる要因は全くない。2000円札ができたから消費の拡大につながるという要因もどこにも見あたらない。消費者心理の面からみても何も要因は考えられない。
従来は記念硬貨やニセ札防止、札からコインへの変換以外で新規の通貨の発行は考えなれなかった。過去にインフレ傾向のなかで、より高額の紙幣の存在が必要となって新札が誕生してきた(約40年前に1万円札が生まれた)。ところが今回は千円札と五千円札の間に位置する新札である。しかも1か5の倍数の紙幣や硬貨でもない。従って計算がより面倒になる。
アメリカに20ドル札があるではないか、イギリスには20ポンド紙幣があるではないかという議論がある。しかしそれはそれぞれの国の歴史の問題であって、100ドル紙幣のあとに新札として20ドル札が登場したわけでもなく、10ドル札の後に20ドル札、10ポンド札の後に20ポンド札が新たな高額紙幣として誕生したにすぎないと思う。
2000円札が出回ることでインフレが起こるのではないかと、インフレ待望論者は期待するかもしれないが、2000円札の代わりに1000円札か5000円札が市中から回収されるだけであって、直接インフレにもつながらない。従ってインフレ待望論者にとっても意味を持たないものである。
小淵首相の思いつき的な発想で世間をこれ以上混乱させてもらいたくないものである。またマスコミも提灯記事を書くことに恥を感じるべきと思う。
99.10. 6