No19. 信頼は不信の上に成立する現代


                       99.10.18  藤島公平 
             (山口新聞に掲載したリレーエッセイより)

 日本には昔から職人気質、商売人気質などの気質(かたぎ)という言葉があった。「職人だから恥ずかしい物はつくれない」「商売やるいじょう恥ずかしい物は売れない」という表現があった。その上で「この職人の作るものは安心だ」「この商売人の売る物に間違いはない」という暗黙の信頼が客との間に存在し得た。

 ところが最近は道義も示さず、その上根拠も示さず「安心」を振りまく時代になっている。「安心は○○○」や「中小企業の明日をリードする○○」というコマーシャルを流す商工ローン会社の悪どい商法が、今問題となっている。
 そればかりではない。安心を前提としていた銀行などで、道義もヘッタクレもないやり方が横行している。国から税金で自らの不始末を整理する資金を注入してもらいながら、資金を必要とする中小企業には「貸し渋る」。経営が少しでも厳しいとみれば「要注意債権」として急いで回収にかかる。一方でバブルで荒稼ぎした連中の「破綻債権」は回収不能として貸倒処理して債務免除する。ディスクロージャーと言いながらどこまでその内容が信用に値するのか確証はない…。

 先日起きた東海村のJCOという核燃料処理工場の事故。事故による危険の重大性を一番知っていた立場の工場長などの現場責任者は現場には近づかず、事態の危険性を知らせずに消防士に、被ばくした作業員の救出をさせ、結果被ばくさせている。元々現場の作業員には自分達がさせられている作業の危険性を知らされていなかったという。いまその作業員達は命の危険にさらされている。前近代的といわれた、女工哀史や炭坑の物語を聞かされている様な世界だ。

 昔の気質は長年の付き合いの中で、職人、商売人、客などの間で培われてきたものである。ところが今の時代は、その信頼を培う場が失われている。またその信頼を根底から失わせる事実があまりにも多すぎる。

 最近「魚沼産コシヒカリ」とか「低農薬野菜」とかのフレーズで販売されているものがある。しかしそれが表示の通りなのかという疑いを私などは持ってしまう。私の妻は「低農薬といっているのだから安心」とすこぶる単純に信じ切っている。私が「低農薬という証明はどこで分かるのか」と問うと、「相手を信頼するしかないじゃない」という。まったく善人の典型である。しかし相手の単純な善意を利用する者が多くいることも事実となった現代だ。従って、その米が本当に魚沼産なのか、その野菜がどう低農薬なのか、商品を提供する側が積極的にその証拠を開示すべきだと思う。

 人と人との信頼関係が堕ちてしまっている現代、悲しむべきことではあるが、信頼の前提として、相手が不信を持っていようがいまいが、信頼や安心の証拠を自ら積極的に開示することで、不信を解き、信頼を回復すべき時代になっている。

 そして私は、将来また暗黙の信頼が復活することを望んでいる。

                         99.10.18



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