2000. 8.15 藤島公平
毎年8月15日の終戦(敗戦)の日を迎えて、第2次世界大戦における日本がした戦争問題が、マスコミで七夕さんのように、年に一度の記念行事のように語られる。
その論議の中で必ずといってよい程語られるのが、「平和の尊さ」、「日本のした戦争は侵略戦争だったのか」、「戦争の責任は国民全体にある」、「原爆の悲惨さを繰返してはいけない」、などである。
「平和の尊さ」というと、如何にも平和主義者のように聞こえるが、私にとってはこれだけでは何の意味の無い言い方だと思う、いやこんな曖昧な言い方は誤解を生む元でかえって良くないと思う。
「平和」は誰でも求めているし、誰でも言える。しかしその「平和」を維持するためという名目で始められたのも大東亜戦争であったし太平洋戦争ではなかったのか。
平和とは誰との関係で平和なのか、どの範囲までの平和を指しているのかで大きく違ってくる。
ある国の「平和」だけを目標にすれば、近隣の諸国の平和を侵すことはその国にとっては仕方の無いこと、つまり正義になってしまう。ある地域だけの「平和」を目指せば、全体の平和は問題外に押しやられてしまうことがある。それぞれの国や地域にとって切実な平和の問題であっても、国と国、地域と全体との関係では平和でない問題となることが多い。
つまりは平和とは相対的なものであるということ。従って全世界的な平和は、言うことは簡単であるが、実現は大変な努力のいることである。世界平和は、現状ではある程度の非平和的な軍事力のバランスの上に成り立っているという事実を無視できない。その軍事力を世界全体でバランスを保ちながら削減する道をスケジュール化することが一番の課題である。「平和」を念仏の様に唱えることからは平和は生まれない。
次に日本の侵略戦争の問題である。先ず日本が侵略したのかどうかを結論づける前に、侵略した側と侵略された側との構図をはっきりと描くべきである。
あの当時、日本、ドイツ、イタリアは勿論、アメリカ、イギリス、ソ連も覇権拡大の意図があったという点では程度の差はあれ、それぞれの国が侵略国だったのである。大英帝国は中近東、アジア、南米の諸国を侵略してきた歴史をもっており、アメリカの成り立ちはまさに先住民族であるインディアンを侵略してきた歴史であるし、戦後世界各地に覇権を拡大してきた事実がある。ソ連はスターリン体制のもとで東ヨーロッパや中東方面への覇権拡大の意図があったことはそれ以後の歴史が語っている。
第二次世界大戦はそれらの国々が覇権を競ったあげくに、全面的な戦争に発展したとみるべきである。だからある人々が「日本はアメリカやイギリスの包囲網のなかで仕方なく戦争せざるを得なかった」という論法も一面的にみれば成り立つ。それぞれが覇権を争うとき、最初に手を出す方が悪いとは限らない。相手に手を出させるのも戦術である。
問題はその覇権争いのなかで、侵略されて被害を受けた国と国民がいるということだ。日本は中国や朝鮮、東南アジアなどの国々に侵略による被害を与えた事実は否定できない。その点では日本は明確に侵略国なのである。問題は、あの戦争を侵略であったかどうか論じる時に、侵略国であるアメリカやイギリスとの関係で論じるところに問題がある。侵略された国々との関係で論じるべきである。
それから戦争の問題では、国とその国民とは区別して論じられるべきである。国の戦争行為イコール国民の戦争行為ととってよいのかという問題である。
民主主義が整った国においても国民がすべての情報を得ているとは限らない。国民が政策判断能力をつける程の情報を得た上で戦争行為に賛成したのであればその国民も責任を持つべきである。ところが過去のほとんどの場合、国民は情報不足のなかで、政府の流す情報に流されざるを得ない面があった。そのことは国民の責任ではなく政治家や官僚や軍部の責任であって、その最高責任者は当然に最高の戦争責任を負う立場にある。負けたから戦争責任が問題になるのではなく、勝ち負けに関係無く戦争責任はそれぞれの国でその国民によって問題にされるべきである。
「戦争に反対しなかった国民にも責任がある」という言い方は、一見自己反省的で前向きに見えるが、実は戦争責任を曖昧にする論調であり、戦争を起こした理由の解明を埋もれさせてしまうものである。勿論将来へ向けて、国民への注意喚起ということの意味は否定しないが、過去を総括する言葉としては曖昧である。
日本のマスコミは戦争の問題では「原爆の被害」を一番に表に出す傾向がある。しかし、あの第二次世界大戦は「原爆の被害」だけではない。大量に非戦闘員を殺したという点では日本軍の行為は原爆に匹敵する残虐さである。自分の国の被害だけを殊更問題にすることで、戦争の悲惨さを語るよりも、普通の生活ではやさしいくて善良なおじさんやお兄さんが、戦地で行った残虐な行為を語ることで戦争の悲惨さを知る方が、戦争に対する反省としては真摯な態度である。
それに日本の国家としての侵略行為への反省を曖昧にしているため、アメリカの原爆投下を真正面から非難できないところに、日本の戦争問題での歯切れの悪さがある。
2000. 8.15