2001. 4. 2 藤島公平
安定した投資家としての株主を育成するために、配当金の損金処理を認めることと、配当金収入を総合課税すべきことを提案したい。
現在、経済界は株価の変動に一喜一憂している。株価の変動が主に金融機関や投資会社などが保有している株資産の時価を変動させ、運用する、しないに関わらず、日毎に会社資産が勝手に増えたり減ったりしているわけである。
しかし最近の加熱する株式論議を聞いていると本末転倒しているものを感じる。本来の投資よりも投機に重点をおいた論議であることだ。
そもそも株式とは何なのか。企業は株主が株式というかたちで資金を提供してくれることで資本を集め、経営者がそれを運用して、労働者を雇い、取引先との関係をつくり、時には金融機関から資金を調達して経営する。その結果利益がでればその中から株主に配当金が支払われる。安定した配当金が支払われれば株主は株主としての地位を他人に譲る必要もない。
ところがここでひとつ不思議なことに気がつく。事業関係者のうち株主以外は常に経営から何らかの恩恵をうける。それが恩恵と言えるのかどうかは別としていくらかの利得を受ける。経営者は役員報酬であり、労働者は給与を受ける。取引先は取引による収益、または収益を得るための種である原価を、金融機関は貸付金に対する利息、というふうに各自が何らかの利得を得る。
ところが株主だけが、経営の結果として利益が出なければ配当は受けられない。経営者は利益が出ないからと言って報酬を受け取らないということは普通ないし、労働者に給与を支払ってきた結果赤字になったから、後になって返してくれとも言えない。取引先も金融機関もまた同じである。ところが株主だけは別である。他は経過であるのに対して、株主の場合は常に結果によって利得がきまるのである。
そうすると株主は、その企業が将来利益を生むかもしれない潜在的優良企業であったとしても、当面利益を出せない企業は株式に対する配当が期待できないわけで、将来の不確定なことよりも現状の損得を考えれば株式を手放すことが当然考えられる。
特に現状の様に株価が大騒ぎされる世の中では、より配当性の高い株式に群がるのは当然ともいえる。
そこで提案なのは、事業の関係者の中で、ひとり別扱いされている株主を他と同列に置くことである。つまり株主に支払う配当金を損金として認めることである。配当金を支払った結果、経営が赤字になろうが黒字になろうが関係なく支払を認めるのである。そうすると株主は経営の結果とは直接関係無く配当を受け取れるわけで、とりあえず安定した株主として投資家としての地位にありつづけられる。
しかし、それでは経営が野放図に赤字を作りつづけるのを放置して、企業の社会的責任は果たせるのかという疑問がでてくるであろう。しかし、当然赤字続きの会社は資金繰りの悪化を伴い、信用の低下は免れず、引いては経営の破たんに追い込まれる。従って野放図な会社は当然淘汰される。
また、配当金を勝手に受け取れるのであればオーナー会社のように経営者と株主の同一性の高い会社はお手盛りの配当をしてしまうのではないかという疑問もありうる。それを防ぐには配当金に対する課税は総合課税とし、配当金の税額控除も無くすことである。
勿論配当金額は株主総会で前期の経営結果に基づいて決められるべきではある。このように配当金を損金処理することを認めれば、年に一回の株主総会で決まる配当金とは異なり、株主は投資に対する利息に似た配当金を受け取れるので安定した株主となりうる。社債とは違うのは確定利回りではなく、原則として利益の出具合に応じて配当金は変動するということである。と同時にあまり多くの配当を受け取った結果、経営を悪化させれば、自らの株式の価値を下げる結果となるわけで、経営の結果だけでなく経営の経過にも関心が強くなってくるのではないだろうか。
要は投機的な株主よりも投資的な株主を育成するために、株主にある程度安定した配当を保証することに眼目があり、経営への参加意欲を強めることにある。