No30.「チーズはどこに消えた?」を読んで


                       2001. 7. 1  藤島公平

 「チーズはどこに消えた?」を興味深く読みました。

 「変化」に対して対処する人間の行動パターンを4つのタイプに戯画化して描いているわけですが、誰もがある局面ではそれぞれのパターンを多かれ少なかれ持っているように思います。

 問題はチーズがなくなりかけているという事実にも気がつかない平穏な日常に浸かり切っている人、又はなくなりかけているという事実に遭遇したときに、その事実を認めたくない心理状態に陥っている平穏と思われる日常にしがみついている人がいるということです。もしチーズがなくなりかけているという事実に気がついていながら、チーズが「またどこかから戻ってくる」などと考えるのはへんな宗教家か余程の楽天家でしかない。

 私はどのパターンが理想的なのかと聞かれたら即座には答えられません。例えば、もし思想家や哲学者ならば、体験の中から徐々に思考を積極的な方向に成長させていったホーを理想的というかも知れません。

 しかし、いち早く成功したという視点でいうなら、スニッフとスカリーの方がすぐれている。当面の目的に到達したなかにあっても次の変化に早く気づこうとしている姿勢は有事に強いタイプでもあります。
 スニッフは理論的ではないが経験的な感覚を活かして素早く行動に移った。スカリーはただ闇雲に行動することで、汗を流してあくせくしたが結果をだしている。
 ただしかし、この二匹のパターンは必ずしもいつでも成功するとは思えない。あくせくすれば結果がでるというものでもない。

 また、ホーのように結果として思考的に成長したとしても、人間としての成長の精神的満足感は得られても、有事際して時間をかけていて本当に対応できるのか、という問題もある。石橋をたたきすぎて叩き割ることもあるかもしれない。

 また、ヘムが一番情けないパターンのように描かれているが、「変化」が本当に大転換しなければならない程の変化なのか、一時的な「変化という幻想」なのかもしれないという問題もある。バブル期に「土地や株に投資しない企業家は今の変化に乗り遅れる」とまで言われた時期がありました。「変化」の幻想に踊らされた経験をもつ人々はただ闇雲に「変化」に対して行動しない知恵もつけている。
 ただヘムの場合はそこまで深い思慮をしたわけではないという意味ではやはり「変化」においてけぼりを食う情けないわけですが、簡単に「変化」に過敏になった余り、次の行動に出なければならないとするあせりから行動するのも問題です。従って単純に「変化」に対して何らかの行動しないものをヘムの様に戯画化することで済ましてしまってよいのかという疑問が少し残ります。じっと我慢するのも一つの対策として効果があることもあります。

 この本ではホーとヘムの説明が多くありますが、スニッフやスカリーのことももっと語ってほしかった。多くの人間が「変化」に対して行動するパターンの多くはネズミ型が多いと思います。「変化」に対して経験や直感や努力がどれだけ本領を発揮するのか。たまたまホーやヘム的な人間が多いかったので、たまたまスニッフやスカリーが他人より早くチーズにありついたのかも知れない。もしスニッフやスカリー的ネズミ人間が多くいた場合はその差は何によるのか。もっと掘り下げてみたいように思いました。

 いずれにしても様々な人間が自分の問題として語り合う題材としては面白い本だと思いました。



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