2001. 10. 9 藤島公平
日本人は宗教に対して寛大である。正月には神社参りをし、結婚式では教会で神父の前で永久の愛を誓うかと思えば、死んだら仏式の葬式をする。家の中に仏壇と神棚が共存している家も多い。かといって日本人は信心深くないのかと言われればそうでもなさそうだ。各地に荒神様とか地蔵尊とかを祭っていたり、地域の氏神様もある。氏子はまた地元の寺の檀家であったりもする。
日本人ほど悪く言えば宗教をあいまいにしている国もないのかもしれない。しかし良く言えば宗教と程よく付き合っていて、宗教による対立が起き難い国という点では結構なことである。
私の家は代々神道となっているが、私の結婚式は人前結婚であったし、きっと死んだら無宗教的なものになるだろう。だからといって仏教徒やキリスト教徒や神道の人々がそれを理由に参列しないということもなさそうだ。
その日本は国民性としてイスラム教もキリスト教も別に大きな隔たりを感じずに対応できる国だと思う。
いまアメリカでのテロをめぐってアメリカが報復戦争を仕掛けているのに対して、テロの首謀者といわれているラディン氏は「今やイスラム教と異教徒との戦いになった」とイスラム教徒を煽っている。この図式こそ彼の思う壷だと思う。
このような情勢のなか、日本はあいも変わらずアメリカにくっついて「show the flag」の言葉にヒステリックに反応している。
これこそ間違った方向ではないだろうか。日本が果たせる役割は宗教に寛大な国として両者の間にはいって宗教対立的構図を解消する役割を果たすことことこそ重要ではないだろうか。
確かにテロは根絶しなければならないし、テロの関係者は当然処罰されなければならない。その処罰はイスラム教徒の中でさせるか、直接の被害者であったアメリカと当事者との間でやらせるかの問題はあるが、日本が裁く立場に立つ必要は少なくともない。
最近テレビ番組は各種の評論家が出て色々と今回の問題の評論をしているが、NGOで働く国境なき医師団の中村氏の言葉が一番現地の感情を理解していて説得力がある。
彼いわく「人道的援助といいながら難民が出てくるのを待っているような姿勢がうかがえる」「そもそも難民を出さないための援助こそ人道的である」従って「日本は難民援助をすることも大切だが、難民を出さないことで努力すべきだ」
それに「難民キャンプに兵隊がいても逆に戦闘行為のきっかけになるだけで、治安は当地の警察にまかせるべきだ」という。まさにその通りで湾岸戦争で金しか出さなかったということにあまりにも異常反応しすぎで、好戦論者や軍備拡張論者のこれもまさに思う壷である。現地で自衛隊員が戦闘に巻き込まれて戦死者でも出れば喜びそうな連中が影でうごめいているような気さえする。
日本は宗教色の薄い国家としての特徴を活かして戦闘の当事者となるべきでなく別の面での支援が必要とされている。従って理由の如何をとわず自衛隊の派遣は今回は必要ないし逆に逆効果となり得ないと思う。