2002. 7.31 藤島公平
市民運動の資料を製本化するケースはあまり例がないことかと思います。
しかし、私たちが2年7ヵ月にわたって繰り広げた市民運動は、様々な意味で新しい何かを山口市の歴史に残しただけでなく、市民運動のあり方にも影響を与えたのではないかと思っております。
それは、かつての政党や団体中心の運動形式ではなく、あくまでも自覚ある個々の市民の組織として活動したことです。かつての形式に比べると活動のスピードは遅々たるものと感じられる向きもあります。しかしそのエネルギーは一端火がつけば前者よりももっと大きなものをもっていることに気づかされました。
なぜなら、政党色や団体色が無いため、参加者の中には運動の対象となる相手側にも深く食い込んだ方々もおられたことも特徴です。そのことが表面的な圧力だけでなく、相手の内面的な矛盾も深めることにもなりました。つまり、従来の敵・味方という線引きでなく、線引きが明確でないところに運動としての凄みがあったということでもあります。
また市民の運動への参加の仕方が画一的である必要はなく、本人の自覚のもとで様々な参加の形式があるということも気づかされしました。
街頭での署名活動も一つの活動形式ですが、有形無形の圧力に耐えながら「なにくそ」と一筆一筆署名を集めた活動も立派な活動です。自分の家の前に自家製の看板を掲げて、ささやかに抵抗するのも活動。「井戸端」談義や酒屋談義のたびに問題を持ち出して話のタネにするもの活動。業界の集まりのたびに話を持ち出すことも活動。市長を交えたレセプションで堂々と皮肉を声高に言うのも活動。時間はかかっても芸術家仲間の声を一つにして声明として発表するのも活動。そして情報としてニュースを流し続けるのも活動です。活動の内容に軽重はない。自覚した人が自分の出来る範囲でする活動の積み重ねが大きなエネルギーに発展するということ、を気づかされました。
今回の市民運動の結果、市民参加の条件だけは何とかつくることができました。しかし今山口市民は、市民が行政の政策決定に何らかの意思を反映させることの重要さとともに困難さを体験しています。しかし「市民主義」とでもいえるのでしょうか、市民・住民参加の意味を体験し教訓化して全国に広める先進の街・山口市になることを信じています。
私たちの運動がその一歩のためのお手伝いができたことに誇りを感じております。この運動資料がそのささやかな軌跡を知ってもらうために作製できたことに感謝しております。
なお、資料中個人名が出てご迷惑の方も居られるかも知れませんが、リアルな資料として資料作成時のまま掲載しました。また文中誤字脱字が多々あると思いますがこれも作成時のまま掲載しました。あわせてご容赦ください。 2002年7月