No38.不良債権処理を急げというが
不良債権を区別して論じるべき


                                    2002.10.29  藤島公平

 最近、テレビに出てくる経済評論家のほぼ全ての人が「銀行の不良債権処理を急ぐべきだ」と論じる。それに押されて竹中経済・金融担当大臣が「不良債権処理加速の方針」を示した。しかし与党内から反発があり現在再検討中ということである。

 不良債権というとイメージとしてバブル時代の不動産投機や株投機に失敗したズサンな企業の債務のように聞こえがちである。ところが現在はその当事の不良債権はほぼ国民の税金による資本注入なる方法と債権回収機構への売り渡しでなくなっているといってもよい状態のはずである。

 では、今盛んに不良債権と言われているのは何か。それは元々は健全な経営であったが、国策的な失敗 (バブル経済の影響と安易なグローバル化政策) によって経営が悪化する中で、資金繰りに行き詰まり返済が滞りがちになるか、もしくはかっては十分であったはずの担保物件が値下がりによって結果として担保不足とされているものなどである。

 経済評論家はしきりに株価をいい、そのマーケット(株式市場)がどうのという。しかしほとんどの中小企業にとって株価の動向は自社にはまったく関係していない世界であり、マーケットがどっちを向いていても関係ないのである。なぜなら持合の株を持っているわけでもなく、投機的有価証券を持つ余裕などさらさらないのである。

 問題は景気の悪さである。人が物を買わない。安いものか高価なものかの消費の二極分化がすすんでいる。つまりは所得階層の二極分化がすすんでいるのである。

 また、中国は国際経済に参加しながら、国策によりその通貨である元は他国のように変動させない。そのため当然のように通貨格差から生産市場は中国に流れ込む。この現実にたいして日本政府は何も言えない。

 これらの要因による景気の悪化は単純な景気変動とは違っており、国の政策として大きく転換しなければ単体の企業努力ではどうしょうも出来ない環境を生み出しているのである。

 いま必要なのは株価ではないのである。消費である。その為には雇用である。そして国内における生産である。株価は基本的にはその結果として変動するものであり、投機的な資本による株価の変動によって経済が右往左往される経済社会こそ異常なのである。

 論を元に戻すと不良債権といわれているものについてもっと細かく見てみる必要がある。

 破綻債権、実質破綻債権、破綻懸念先債権、要注意債権に分類され、その「危険度」に応じて銀行に引当金を積み増しさせている。これは一見当然のようにみえるが、今の経済環境ではほとんどの企業が上記の分類に入れられる可能性が高いところに問題の本質がある。

 破綻債権は、すでに法的にも形式的にも破綻しているものでこれは論外としても、実質破綻債権とはなにか。深刻な経営難に陥っていて再建の見通しが立たないと認められる会社(債務者)とされている。その場合新規の融資があれば再建の見通しが立つ場合でも、新規の融資をしないという前提で審査するわけだからたまらない。苦しいから銀行に融資を申し込むわけで、その状況で融資しなければ再建のめどなど立つわけがない。業態の変更や新規分野への進出などできるわけがない。まさに「なぶり殺し」である。

 破綻懸念先とはなにか。現在は経営破綻の状況にないが、経営難にあり、経営改善の成果が出ていない会社とされている。この会社は借入金の返済をしていないとは限らない会社である。借入金の返済はしているが将来は行き詰まるだろうという会社である。銀行にとってこの様な会社こそ応援して、長く返済を続けてもらうために、利益のでる会社に変えていく支援をすべきである。しかしこれも新規の融資はしないことになっているので、資金的な支援はあり得ない。つまりは支援はしないという宣言である。

 要注意債権は、借入金の返済条件を緩和してもらった事実がある会社や返済が数ヶ月遅れた程度であるが、経営としては特に急に破綻するわけではない会社となっている。つまり経営は健全とはいえないが健全に近いかたちで続けていっている会社である。このような会社も不良債権先とされているのである。

 昔銀行は、企業が現在は経営難であっても、経営の建て直しのために業態変更や新規分野への進出、新規設備の購入などて応援していたものである。その努力を銀行から奪い取るような措置を薦めているのが多くの経済評論家でり、現在の政府である。まさに机上の空論から来る「評論家」の弁でしかない。

 銀行は本来の企業の事業活動を支援する組織としてその機能を最大限に活かすことが今の状況打開のカギを握っていると自覚すべきである。



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