2003. 1. 1 藤島公平
私が山口市議会議員に立候補するということで、マスコミから立候補にあたっての調査票のようなものに記入してくださいとある用紙が渡された。
氏名、生年月日、住所などは当然として、「貴方は保守系、革新系、その他、のどれですか」という設問には驚いた。今でもこの様な設問があるのかと思われたからである。
戦後政治の中で旧体制を守ろうとする勢力と、その体制を変えようとする勢力が存在した時期がある。その時期は体制派か革命派かという区分であったのであろう。体制派はアメリカを中心とした資本主義経済を導入し維持し発展させようとした。別に戦前の資本主義を維持しようとしたわけでもない。従って保守派ともいえないのではないだろうか。唯一国体の護持ということで天皇制を守ろうとした意味では保守派という名称があてはまるぐらいであった。
体制派は戦後の荒廃した経済や政治システムを復興すべく、アメリカ的資本主義をモデルとして旧来になかった生産システムや政治システを導入し会心の進撃を始めた。
一方の革命派はソ連社会主義国家などの影響を受け、日本を社会主義化する方向で運動していた。ソ連ベッタリかどうかの問題は色々あるが社会主義化を目指していた点では共通していた。これは資本主義体制を打倒して体制を変えようとする点では明らかに革命的である。
しかしその後、社会主義ソ連、中国、北朝鮮などの実態が明らかになってくるにつけ、「社会主義とはなんだったのだ」という議論が起こってきた。スターリンの恐怖政治、毛沢東の文化大革命、北朝鮮のチゥチェ思想。マルクスやエンゲルスが説いた社会主義とは到底かけ離れた社会が出現している。それは世界のいわゆる「革命派」に混乱をもたらし、また社会の支持も激減していった。そして各国の革命派の分裂と衰退は顕著となっていった。ある部分は先鋭化し、挙句には展望なき武装闘争に走り益々「人民の支持」を失っていった。
日本で「革新」という言葉が出てきたのは、東京や京都や大阪で従来の自民党的知事と違った知事が誕生した時期に生み出された言葉だと記憶している。「革命的」とまでいわないが、従来になかった何か新たなものを生み出すだろうという期待から「革新」という名称で表現された。確かに「革新知事」の政治は新しいものも生み出した。しかしそれはちょうど高度経済成長期にあった日本の生産力の増大も影響していた。つまり背景には資本主義の発展があったのである。当時の日本社会は「革命的」な状況にはないという安心感から「革新」を支持したともいえる。
それ以来、「革新」というと「従来にない何かを生み出す政治への志向」という理解が進んだ。しかし実際は「資本主義体制という土俵の中での政治の是正」でしかなかった。従って「革新」は資本主義の発展にかげりが出てくるなかで、本来活躍すべき立場にありながら、逆に社会の支持を失いつつあるのも現状である。
つまりは人々は資本主義の発展を期待しつつ、一方でその発展の陰に潜む負の部分(貧富の差、公害問題、福祉問題など)の是正を求めた結果が「革新」であった。さらにいうなら資本主義の基本的システムの変更を望んだわけではないということである。だから資本主義の衰退により資本主義体制そのものが問われたときには「革新派」はもうお呼びでないという皮肉な現象が起こってくるのである。
資本主義体制の危機に直面して一番の「革新派」は資本主義体制の擁護者の中に現れてきているともいえる。逆に従来の「革新派」は「何々を守る」「何々の変更に反対」をスローガンとして結局は、戦後の資本主義体制の発展の到達した現状を守ろうとしている。それはまさに「保守派」である。
「保守」「革新」は何時の時代にもある。しかしそれが「体制維持派」と「体制否定派」と必ずしも一致しないし、歴史の「推進派」と「後退派」とも必ずしも一致しない。
少なくとも21世紀初頭の現在においては、かって言われていた「保守」・「革新」の表現は実態を反映していないと思う。ただ言えることは「よりよい環境を志向して、従来にない何かを生み出す手法」が「革新的」であることには間違いはない。