No46.時価会計の意味するところ
株価対策のため企業の継続性を否定するもの


                                    2003. 7. 11  藤島公平

 いま時価会計ということが言われている。その結果としての減損会計もいわれている。時価会計とは資産を時価で評価して簿価との差額を調整することが主要なポイントである。もし特定の資産の時価が簿価よりも低い場合には減価することとなっている。ところが逆に時価が簿価より大きい場合はそのままということなのだろう。なぜなら増益会計ということばが無いからである。

 この減損会計というのはバブル時代の落とし子であり、デフレ時代の一時的な会計概念であろうと思う。

 もともと企業会計は、企業は特別の事情が無い限り継続し続けるものとする公準のもとにすすめられてきている。つまり資産の評価は特別の事情が無い限りは取得原価を基準とした簿価でおこない、費用性の資産については決められた手順で減価していくものとされていた。
 特別には倒産や解散の場合などの状況になった場合には清算概念が導入されて全てを時価評価するということはある。しかしこれは企業終焉の場合である。
 通常企業会計の関心は、資産を時価で評価することにはなく、企業の収益力に視点がいっていたからである。なぜなら株主の関心は企業が継続し続けるという前提では投資に対するリターンである配当に影響のある収益性こそが関心事であった。

 ところがバブル期からそのあたりが変わってきた。資産の含み益というかたちで、資産の時価と簿価との差額が重要なファクターとなってきた。その影響で株価が異常に沸騰しバブル経済の元凶を形づくってきた。
 その段階では株主は投資的観点から投機的観点になだれをうって変わっていった。そのため株主にとっては企業利益の源泉である収益には関心が行かず、幻の利益源泉である資産の含み益に目が向いていく。ところがその時には増益会計ということばはなかった。増益会計がないから税金のかからない、まさに「濡れ手に粟」のバブル利益に、政治家も大企業の経営者も含めて狂乱したのである。その典型がリクルート事件であった。

 そしてその反動でデフレ期になったときには、資産の含み損が問題となり時価会計と減損会計が出てきた。これでは企業会計の公平性が問われてくる。つまり企業会計が一定の利益層のために、経済の状況を後追い的に追随しているに過ぎないのではないかと疑ってしまう。経済環境が変更しても経済活動の一つのルールである会計制度を変えるべきではない。ある企業家が「サッカーと思ってプレーしていたら実はフットボールでしたと途中でいきなり宣言されるのに等しい」と言ったが、まさにそのような状況が現出しているのである。
 バブル期に増益会計をしていないのに、デフレ期になったからといって減損会計に転ずるのであれば、企業会計の一貫性を欠くことになる。バブル期には時価と簿価の差額を訂正していたわけではなく、金融機関や投機的株主が暗黙に評価して勝手に踊ったわけである。ところがデフレ期になると一転した簿価の引下げを政策的に押し付ける。
 しかも活きているはずの債権までも、死ぬことを前提とした評価をするような行き過ぎた「不良」債権評価なるものが行われている。それが金融監督庁の指導に色濃く出ている。

 このことが一企業の会計ルールに関することであれば中小企業にとってはほとんど影響は出てこない。その企業の評価が下がることによって影響を受ける株式を持ち合いしているケースは少ないからである。
 ところが、金融機関や大企業など、主に上場会社を中心に時価会計が強制されるようになった結果、それらの企業は株価対策のため、収益性よりも資産の評価維持に血道をあげることになっている。そのことが取引先の中小企業に多大なる影響を及ぼす。つまり金融機関においては「貸し渋り」「貸しはがし」であり、その他の大企業においては売掛債権の回収は急ぎ、買掛債務の支払サイトは延ばすといった事態が日常化している。

 その結果はもうすでに周知のように、中小企業を中心に景気は冷え込み、冷え込み状態から脱出するための事業展開や業態転換のための資金が借りれないなかで、多くの中小企業が行き場を失いつつある。

 なぜ、いまこの様な経済状況の悪化のなかで、不況の流れをさらに促進するような政策となる時価会計を小泉内閣のもとで竹中方式ですすめるのか。それは外資を中心とした機関投資家対象の株価対策でしかない様に思う。ある種、日本株を外資に売り渡す為の売国的な行いともとれる。

 現在、株価が一万円台に近づいている。しかしこの株価の上昇の原因が主に外資からの買いにあり、ヘッジファンドの画策の臭いもする。数年前にアジア通貨危機の再来を危惧させるような状況も感じる。

 また株価の上昇が、企業の資産性に占める持株の上昇には影響して、そのことで減損が続くことにはストップがかかっても、増益会計はないのであるから、少し元の状況へ回帰している過程にすぎない。したがって株価の一時的な上昇傾向があってもいきなり収益性の改善にはつながらない。株価が上がって減損状態から免れて関係者はホッとしているではあろうが、企業の本来の利益源泉である収益を上げる努力に向かなければ意味が無い。

 もし日本企業の株価上げ心理が頂点に達した段階であることを見計らった国際的なヘッジファントの動きであるとするならば、結果は日本経済はたちまち麻痺状態にもっていかれる恐れがある。

 日本の投資家も株価上昇に浮かれることなく、きちっと経済動向を分析して、本来の生産的な方向への投資に向かうべき時期にきていると思う。そのことを応援するのが政府の役目でもある。
 公共事業を総量として減らすのは良いとしても、無駄な公共事業を減らして有効需要創出につながる公共事業はこのような状況下にあるからこそ政府や自治体は積極的に推進すべきである。「熱ものに懲りてなますを吹く」ような公共事業への過剰反応はすべきでない。
 そして株価対策と称して投機的株主保護のためにいたずらに企業会計の手法をいじりまわして、結局は日本経済全体を混乱のなかに突き落としている状況はすぐにやめることこそ現状での改革である。小泉流「改革」をやめさせるのは「抵抗」ではなく改革であることを声を大にして言う政治家が出現してほしいものである。



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