2003. 12. 8 藤島公平
自衛隊のイラクへの派遣についてその目的が「戦後の人道援助のため」とあったり「戦後の復興支援のため」とあったりしているが、はたしてイラクは現在『戦後』なのだろうか。
今のイラクには国全体に対して支配を宣言できる政府はまだ存在していない。フセイン政権の実効支配はなくなったかもしれないが、新たな政権が誕生していないということも事実である。旧政権が降伏を宣言したわけでもなく、旧政権の戦争継続意思の喪失の表明もない。つまりまだイラクの現状は『戦後』とはいえないのではないか、と思う。
したがってイラク各地で起こっている襲撃が「テロ」いえるのか「戦争行為」といえるのかが不明である。「テロ」と言いたいのはアメリカ、イギリス側であって、フセイン側からみれば「降伏」をしていないのであるから「反撃行為」ととらえても不思議ではなくなる。
「お前はフセインの味方をするのか」と言いそうな人がいそうだが、その様な次元の話をしているのではない。国家というもののあり方を問題にしているのである。
不法に見える国家であっても、それは見る側の価値観の違いによる場合もある。またいかに悪政の国家であっても基本的にはその国の国民が政権を変えることがパリ革命以来の民主主義の原則ではなかったのだろうか。そもそも「大量破壊兵器があるからたたく」という理由が国際的に許されるのかが問題である。その定義でいけば北朝鮮もインドもパキスタンもリビアは勿論、中国やロシアだって攻撃の対象になりえる。そして何よりアメリカが最大の大量破壊兵器の保持国家である。
そのあたりを曖昧にしたまま戦争に突き進んだアメリカ、イギリスの責任は大きい。戦争はしてみたが、あとの尻拭いまで手が回らないので他国に頼む方も無責任だが、頼まれて出て行く方も単なる人道的なのかどうかの真意を疑いたくなる。
また自衛隊は誰の要請を受けてイラクに派遣されるのだろうか。
過去に戦後の復興や人道援助のために世界の諸国に様々な外国の軍隊とともに公的な支援機関などが出かけたことはある。私の知る限りその場合は曲がりなりにも、その国に政府が存在していた場合がほとんどであったように思う。その政府の支援要請に応えるかたちで出かけていた。
昔、アメリカはベトナム戦争に参戦したが、一応、(傀儡政権といわれてもいたが)南ベトナム政権の支援要請を受けて参戦している。朝鮮戦争にしても(すでに韓国といっていたかどうかは不明だが)南朝鮮政府の支援要請があって参戦している。旧ユーゴスラビア諸国にしても、「ならずもの」的政府があったことは聞いているが一応政権が存在し、その政権の要請またはその政権に対する統一的な対抗勢力の要請を受けて諸外国が公的に何らかのかたちで支援に出かけている。
では「今のイラクを見てお前は何もするな」というのか、と言う人がいそうだが、私から言わせれば戦争を仕掛けたアメリカ、イギリスが最後まで責任をもって対処すべきであって、早く戦後の状態にすべきである。
そのためには、アメリカ、イギリスが努力してイラクの中に国を実効支配できる政府が早く誕生させるべきである。日本が出かけるのはその後になる。
日本の小泉政権は自衛隊の派遣は「国際貢献のため」といってみたり「日本の国益のため」ともいってる。
『国際貢献』といえども貢献を受ける側の国の支援要請の意思が必要ではないだろうか。もしアメリカの占領機関であるORHAという機関の要請ならば『戦後』でない時期に片方の『占領機関』の要請で参加することは明らかに『占領への貢献』でしかないし、戦争政策への加担ではないだろうか。
『日本の国益』という考え方については何と思い上がった発想かと驚いてしまう。他国の悲劇を利用して自国の国益につなげることが平気で語られている現状が異常ではないだろうか。「その国と仲良くすることが将来のその国との関係を良くし結果として国益につながる」と説明されても、その国の性格を規定する政府が存在しない段階でそれが仲良くする手段なのかどうかの判断もつきにくい。本音はアメリカの中東政策のなかで、日本の役割を示すことで、アメリカの国益の分け前を得ることで日本の国益にしたいということではなのだろうか。
今、二人の外交官がイラクで襲撃を受けて殉職した。外交官であろうが自衛隊員であろうが生命の重さを論じることも必要となった。それは今からの課題となりそうだ。
ただ、世論調査でみるかぎり、日本国民が興奮して「自衛隊に仇をうってくれ」ということになっていない現状が少しでもの救いである。