No51.世論という名の無責任とマスコミ

                                               2004. 1.15  藤島公平

 世論調査の結果によると自衛隊がイラクに派遣される前は反対が多かったのが、自衛隊の先遣隊が派遣されると派遣賛成が反対を上まったとか。なぜ逆転現象が起こるのか理解に苦しむ。派遣される前と後にどれだけの客観的変化があったのか。派遣が既成化したという事実だけである。

 世論調査なるものが客観性を持っているという前提に立つならば、世論とは既成事実には寛大だということになる。ならば少々反対の世論があってもそれを無視して既成事実化してしまえば「勝ち」ということになる。

 そもそも世論調査にどれだけの客観性があるのか私は根本的な疑問を持っている。

 自衛隊が実際に派遣されたから賛成に回ったとされる世論とはなんだろうか。派遣には反対だったが、派遣が実施された段階では無事に任務を果たしてほしいからと応援の意味での「賛成」であるのかもしれない。しかしそれであってもどこかおかしい。少なくとも積極的には反対ではなかったということなのだろう。そんないいかげんな判断ならはじめから棄権(回答なし)するべきである。でも調査結果としては「反対」とカウントされてしまうのである。

 なぜこんなにも世論調査に現れる世論とはいいかげんなのか。多くの場合「世論」とはマスメディアの「報道」の受け売りでしかないからだと思う。「世論」なるものは自らの意見を持っているわけではなく、ただ井戸端会議的な噂話には敏感で、その話に乗り遅れまいとする庶民的本能だけで発言し、意思表示するまさに衆遇の現われでしかないようにも思う。衆遇は多くの政治家と同じで自らの意見に責任を負う気は持たないのが特徴である。

 結局「世論」という名のそんな無責任な意見をもとに番組を構成するマスメディアも「無責任」を土台に成立する「確信犯的無責任者」のように思う。

 マスコミが自衛隊の派遣に異論を唱える時の論調は「政府の説明不足」をあげるが、自衛隊の派遣が既成事実となると、いつ「テロ」により自衛隊員に死者が出るか、そしてさらには自衛隊員がイラク人をいつ射殺するか。日本の政治の将来などよりも、日本人が直接の殺人罪という刑事事件にならない環境のもとで殺人がどのように起こるか、が一番の関心事であるようにみえる。その瞬間を捉えたいと多くのマスコミ関係者が従軍しいている。彼らには日本が初めての戦時下の国への軍隊の派遣しているということよりもそちらに関心がいくようにしか私には見えてこない。

 世論がおかしい。その操作者であるマスコミの責任は大きい。官僚は政策の責任を取らないとマスコミはいう。しかしマスコミも責任をとる体制はあるのか。それはない。
 自ら無責任な体質をもちながら他人の無責任をどう公正に表現できるのか。はなはだ疑問である。

 ある人がこう言った。「日本の社会を支配しているのは、政治家と大企業とマスコミと金融機関と暴力団のトップである。これらの層が緊密に結びついて政治を操作している。これらの層を『リストラ』すれば日本は確実に変わる」と



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