No57.匿名「意見」とテロ意識 どこか共通

                                               2004. 4.19  藤島公平

 イラクでの日本人誘拐事件について、「自己責任」問題で本人やその家族に向かって数々の意見が出ている。

 確かに誘拐された人々については、様々意見はあるだろう。しかし、マスコミの論調や政府関係者の対応にしても感情的にすぎると感じる。

 高遠さんという女性が、解放直後のアルジャジーラテレビのインタビューで「こんなことがあったけれど、イラクの為に働きたい」といった主旨を述べたり、郡山さんというフリーの写真家が「自分は写真を撮るためにイラクに来たのだから残りたい」という主旨を述べたことがそれほど騒ぐほどのことかと思う。解放直後の興奮し、意識が混乱している状態で、外の世界の情報も少ない中での発言であった。その発言も今すぐにでもイラクにとどまってというニュアンスともとれないし、今後も自分の姿勢としては変わらないという程度の発言のようにもとれる。

 しかし、仮に「このままイラクにとどまって」という意見だったとしても、時間を少しおいて諭せばよいことで、いきなり過敏に反応する姿にこそ異常さを感じる。何か誘拐中のフラストレーションを爆発させたかのような、マスコミに誘導された世論感覚を覚えるし、政府にしてみれば、家族の「自衛隊の撤退も含めた対応を」という意見に対する不満が爆発したかのように見える。

 そして重要なのは、今回の事件の背景として「アメリカに追随する日本」「軍隊を派遣している日本」「ファルージャでのアメリカの集団虐殺行為」などの問題が浮き彫りにされつつあった。その問題に対してどういう対応をするかはいろいろ意見もあるだろう。しかし、その問題を根底から考え直す世論が起こってもらっては困るという人たちが、「今回のそもそもの問題は無謀な行動をとった日本人にある」と、矛先をかわすことにもあるのではないかと推測してしまう。

 それから、私が一番言いたいのは、意見があるのなら正々堂々真正面からルールを持って述べるべきで、匿名の意見や罵詈雑言的意見、個人の過去の生い立ちや環境まで入り込んだ報道というのに怒りを覚える。まさに卑怯な行為である。

 よくテロリストのことを論じるときに、「自らの思いを遂げる目的で、自らの姿を秘匿したまま、いきなり無差別に、目的と関係ない人々まで巻き込んで、殺傷する行為」といわれるが、殺傷まではしていないが、どこかテロリストの姿勢と相通ずるものを感じる。

 日本人は「中庸をもって尊し」とする民族文化だと評されるが、「中庸」とはあいまいをよしとして自らの姿勢を示さないことではなく、いろいろな意見を協調していって間をとる様な生活上の知恵だと思っている。ところが最近、一部だとは思うが、自らの姿勢を明らかにすることを怖がり、他人との協調は苦手で、だが大方の風潮には敏感に反応する人々が増えているように感じる。そして、勇気がなくて自らの意見を言い切れないフラストレーションから、匿名の「意見」という形のテロ的行為にでる人たちが出てきている。

 私はいじめ問題やこの種の騒ぎを目にし、耳にするとき、日本人の多くから「卑怯」という言葉が消えつつあるのではないかと危惧する。「卑怯」という言葉を忘れた人々が「サムライ」を語るのも奇妙である。



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