No58.「自己責任」論について

                             2004. 4.28  藤島公平

◆筋違いの非難◆

 いま政界やマスコミでイラクで人質になった人たちに対して「自己責任」論が沸いている。

 私は、海外にいようが国内にいようが、一般に大人の行動は自己責任があると思っている。道をあるいていて、踏切や交差点では左右を確かめて渡るだろう。もし確認を怠れば事故につながるかも知れない。事故になればそれぞれの責任が問われる。各自の日常生活は誰かの指示で動かされているわけではない。
 つまり、誰かの指示や命令で動く以外は、全ての行動や判断は常に自己責任だと思っている。当然、人質になった人たちも同じ感覚でいたと思う。逆に自衛隊員のように、命令で派遣された者が「自己責任」で危機に対処せよ、とされている方が異常なのであって、個々の自衛隊員は悩んでいることだろうと同情する。

 今回の「自己責任」論の問題は、自己責任にひっかけて、彼らの行動そのものを否定ないしは非難していることである。復興支援、人道援助の名目で自衛隊を派遣していながら、人道援助の行動を非難する矛盾。「退避勧告が何度も出されていたのに」という理屈をいうが、そもそも「イラクは戦争状態にはない」ということではなかったのか。また危険な地域だからこそNGOなどの支援やフリーカメラマンによる報道こそが必要な地域ではないのか。彼らを責めるのは本末転倒した議論だ。

 今回の発端は、前号でも述べたように、未だ混乱した情報の中にもかかわらず、問題の本質を反らしたいという意図をもったかのように、小泉首相をはじめ閣僚たちのヒステリックな発言にある。国民感情なるものはその報道への便乗でしかないように思える。
 ある投書の紹介で、三人を非難して「国民や政府を悩ませている、謝りなさい」という内容のものがあった。しかし、彼らの行動が貴方を含めて「国民」に何の迷惑をかけたのか。まさにテレビ報道に一喜一憂する「国民」の感情移入の最たるものである。
 政府については、そもそも政府の働きが効果があったのか、という議論もあるが、それはそれとして当然の職務を行ったもので、一般礼儀上の感謝の意を伝えればそれでよいと思う。ただ「国民」対しては心配に対して感謝はしても、謝る必要はない。

◆意地汚い、政治家の費用請求発言◆

 救出費用の負担については、本質的には受益者負担の原則からすれば、本人負担となるのは当然と思う。ただ、それを声高に言う政治家の意地汚さをどうしても感じる。さらに、政治家や外務省の役人が動いた費用を云々するのは筋違いだ。かれらは邦人保護のために尽力をするのも仕事のうちだ。普段、どれだけ崇高な仕事をしているかは知らないが、まさに邦人保護のための崇高な仕事に通常の俸給以外に報酬を求めることこそ、値打ちを下げる振る舞いだ。

 それからよく冬山登山での遭難と対比して語られるが、地域の消防団や登山関係者で仕事を休んで捜索に参加した人々への謝礼や、ヘリコプターなどの緊急出動費用は必要である。しかし、その場合でも警察や消防署員などの公務員の職務としての部分については支払義務は無いはずである。もちろん大変な苦労をかけていることは事実であるから当然感謝の気持ちは大切である。だからといって公務員の行動費まで負担することは公務員の職務をお金で買うことになるので一般に負担しないはずである。
 今回の場合、政府がチャーター機を用意したというが、そのことと邦人保護との因果関係がわからない。人質となった人をマスコミから遮断したいという思惑があったのではないか。遭難の場合のヘリコプターとは大きな違いがあるように思える。

◆時代錯誤の独裁国家志向の柏村議員の発言◆

 新聞報道によると自民党の柏村議員が、国会で「人質になった人たちの中に反日的分子がいる」という主旨の発言をしたとか。とんでもない時代錯誤で危険な発言かと怒りを覚えた。
 彼の言分は「日本が決めた自衛隊派遣に反対していた人を日本政府が救出する必要があったのか」という流れのなかでの発言であったということである。
 かれの理屈では、国の決めたことに反対する者は、国が保護する必要はないということである。これでは政府権力と意見の違うものは人権を危うくしても仕方がないということで、まさに独裁国家の発想である。民主主義の原則もなにも理解していない大変危険な考え方である。このような議員は学歴詐称や贈収賄よりもっと悪質である。なぜなら、そのことは確かに犯罪ではあるが、学歴を詐称しても、贈収賄をしても直接私たちの生活や身分を犯すものではないが、彼の発言は民主主義の根幹を犯すもので、国民全体に影響を及ぼすからである。

 それに「反日的分子」という表現がふざけている。この表現は、戦前の中国などへの侵略行為のなかで日本軍に反抗する勢力を「反日分子」と言っていた。仮に、侵略であったかどうかの議論は脇においたとしても、外国人を指す表現であって、同じ国民を指す言葉ではない。しかも「分子」という表現は一定の勢力の中の構成員ということを現している。
 つまり彼の発言は「日本の政策に反対する国外のある勢力の構成員」といっていることになる。これは人質になっていた方への大変な見当違いな発言であるとというよりも、大変な侮辱である。こんな言葉の使い方も知らない者が国会議員でいることこそ問題であり、公人たる人間の発言としては犯罪である。憲法を否定する国会での公式な発言でありながら、なぜ喚問や懲罰にかけられないのかが不思議である。



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