2004. 7.26 藤島公平
昨日のNHK特集で「にっぽんの"ゴミ"大陸へ渡る 中国式錬金術」と題するドキュメントが放映された。その中で、日本の廃棄物が中国企業に買われて大陸に渡り、車や機械、パソコンなどの廃棄物のなかから、鉄くず、銅、鉛などがほとんど人力で分別され、リサイクルに回る姿が描かれていた。
その中で気になったことがある。
ある日本の企業が、大きな投資をしてペットボトルの資源再生のためのプラントを立ち上げ、ペットボトルから大変純度の高い衣料用の繊維を作り出していた。従来は、ゴミを回収する自治体から原料となるペットボトルを無料で引き取って、飲料メーカーなどからはペットボトルの処理費用をもらって再生していた。
ところが、中国企業がペットボトルを買い取るということから、自治体と飲料メーカーに欲が出てきた。従来は無料で日本企業に引き取らせていたものを、中国企業がキロ20円程度で引き取るという。飲料メーカーは処理費用を支払わなくてもよいとなった。商業的には無料のものを有料で引き取らせ、しかもメーカーは処理費用も要らないとなれば当然の選択であろう。
しかし、どうも釈然としない。
そもそもゴミの三R対策といわれた政策は、国や自治体が進めていた政策ではなかったのか。三RとはReduce(不用物の減量−長持ちさせて不用物にしないこと)、Reuse(再使用−不用物の一部や全部を原型のまま繰り返し製品に加工し直して再利用すること)、Recycle(再生利用−不用物をその構成材料別に分離し、各々を元の素材に加工して新しい製品を作ること)の頭文字をとったもので、国や自治体が大々的に民間企業に参入を呼びかけてきた分野である。
このために、産官学をあげてゴミのでない製品の開発、ゴミの再利用に民間活力を動員してきた。そしてその結果、全国に産業廃棄物、一般廃棄物に限らず、リサイクルの取り組がなされ、様々な製品素材の開発、分別技術の発明・開発の努力がなされ、低コストの再生技術も生まれ、事業化が取り組まれてきた。
つまり国や自治体が「笛を吹いて」再生プラントの事業化をすすめていたのである。ところがその自治体が、目先の欲に引かれて国内企業を切り捨てて、外国企業に再生の原料を引き渡すという。そのために国内企業は、従来無料で引き取っていた再生資源ゴミを有料で引き取るはめになっている。それでは企業にとって採算が合わなくなるが、プラントを立ち上げた今となっては立ち止まることはできない。まさにジレンマに叩き落されている。
テレビのなかの、その日本企業の社長は「仕方ないですね」と半ばあきらめたような面持ちであったが、内心は「役人の裏切り者!」と叫びたかったであろうなと心中察するものがある。
テレビのなかで、その自治体の担当者曰く、「ゴミを中国企業に有料で引き取ってもらって年間800万円の収益が生じる」と。私に言わせれば「それぐらいの収益にしかならないのなら、国内企業を育てる方が優先ではないか」「800万円がもったいないのであれば、貴方(担当者)一人分の給与を削れば捻出できるではないか」と。
国や自治体の政策の一部に、官と一部の民が、笛を吹いて民間を躍らせて、二階に上げておいて梯子を外すがごときの政策が目に付く。
私の知っているものでも、産業廃棄物の処理と収集ヤードの設置の問題で、県が奨励していると聞いて、ある企業が実行に移そうとしたことがある。そのために私も一緒に計画を立て準備して申込に応じてみた。ところが、実は東京の「コンサルタント会社」の描いたものでしかなく、自治体ではそのことに対する明確な方針も、対応策も準備されていなかった。「もしやりたければやってください」「県はそれを見守るだけです」といった具合であった。そんなことのために百ページ以上のパンプレットを作成し、「コンサルタント会社」には何千万もの費用を支払って、「仕事らしき」ことをしたという「実績」を誇示したいかのようであった。
この場合は私たちの努力は「未遂」に終わり、実害は生じなかったが (エネルギーを費やした分が実害ともいえるが)、前述のペットボトルの再生企業の場合は大変な「死活」の窮地に追い込まれている。
国も地方自治体も真面目に「環境問題」を語るのであれば、そのために応じてきた民間企業の努力を、単純な経済主義で見捨てるようなことをすべきでない。そもそも自治体は過去に経済性も何も考えずに「箱もの行政」に走っていたのに、わずかの金で急に「経済性」を言い出す姿に大いなる矛盾を感じる。
そんなことを繰り返していたのでは、勇気をもって環境問題にかかわろうとする企業家は現れなくなる。そのことが一番の心配だ。
また、映像の中で、中国の低賃金の労働者が、水銀などの有害な物質を手元で溶かして分別したりしていた。ある程度危険性は認識しているのか、揮発する水銀を扇風機で飛ばしながらの作業であった。しかし、その集落のあちこちで同様の作業がされていて、結局は集落全体が水銀に汚染されるのは間違いないだろう。水俣病公害などの悲惨な体験で、その恐ろしさを知っている日本人として、危険性を忠告しなくてよいのだろうか。
日本の企業を育てることを無責任に中途で放り出し、中国で低下層の労働者が危険な作業で廃棄物処理してるのを「知らぬ顔」、の構造に怒りを通り越して、おぞましさを感じた。