2004. 8.16 藤島公平
私は流行りに便乗するのがきらいで、ベストセラー本はブームが去ってから買いたいという天邪鬼である。がある時書店に積上げられている「バカの壁」と言う題名が目にはいり、「読まないやつはバカだ」と言われているようで、つい買ってしまった。
認識の方程式
読んでいて、「壁の存在や意味は分かるが、それをバカとは言いすぎだろ」、「そもそも『バカの壁』に対して『かしこい壁』があるのか」「なければただ『壁』と言えば済むことじゃないか」とブツブツ言ってしまった。最後まで「バカ」の理由がわからなかった。「読者を引き付けるためのセンセーショナルな表現」だったのかなと思っている。
ただ、認識の方程式 Y=AX の展開あたりから興味が起こり、ついつい読み進んでしまった。現象 X に対して、認識・行動 Y として反応するときに、係数 A のあり方によってそれは大きく変わる。この係数 A が現象に対する姿勢・価値観などによって決まってくるという。大変単純だが他人に説明する道具としては分かりやすいと思った。
一元論と二元(多元)論
常識の壁、思い込みの壁、知ったかぶりの壁、決め付けの壁、「原理」の壁など、人々を思考停止( A を無限大にしたり、 A が常に一定であったり、常にマイナスであったり)に陥る「壁」の存在から、二元論の説明へと続く。
私は二元論的思考には同意する。つまりある現象に対して「正しいとする認識」があったとして、それを別の面から見ると別の「正しいとする認識」があり得るということを許容する認識論ということであろう。ならば「二元」と「決め付けず」に「多元」とする方が説得力があるように思った。二元では対立の世界、二律背反の世界に陥り、そのことが新たな「壁」になるのではないだろうか。
そして養老氏は、一元論の代表例として宗教を上げていたが、私は国や組織など共同体は本質的には全て一元的な思考を求めるものだと思う。
一元論の世界とは、一元的価値観を求める。全ての共同体においては成文化されるかどうかは別にして、「してよいこと=善」、「してはならないこと=悪」がある。それがないと共同体は維持できない。ただそれらの「善」「悪」の価値観が様々織り成されて共同体全体の価値観が形づくられて、挙句にはその価値観が各構成員たる個人の思考方法をも縛っていくことになる。それが一番強く現れるのが宗教ということであろう。
つまり、個々人の思考において Y=AX の A が常に一定という、ある現象に対して常に同じ反応を示す、思考努力停止の状態となる。それはある意味では「楽な」世界、「いらぬ」悩みのない「安心立命」の世界となる。
ただ、ある個人が何らかの組織内には居て、組織そのものを見直したり、組織そのものを改革するには「二(多)元的」発想が必要となる。つまり A をあれこれ変化させて導き出される今までに無い認識・行動である Y を生み出す試みだ。しかしそのことはしばしば、組織の主宰者には嫌われることでもある。
つまり二元論(多元論)は組織からすれば「異端児」的な発想である。ただ、現代の様に、かつて安心して身を託してきた地域共同体、会社、国家が当てにならなくなった時代においては、一元論でなく二元論、といわず多元論的な発想が求められる。多元的でなければ価値観が混乱した現代を読み解くことはできない。私は常々多元的思考をしたいと思っている。
ザックバランの壁
ただ、養老氏の説明が誰にでも読まれたいとするためか、ザックバラン過ぎて説明に矛盾を感じる点もある。そもそも二元論を唱える人にはそぐわない「決め付けが」あちこちにみられる。
例えば『バカの壁』と「壁」を「バカ」にする必要はないのではないか。現に何らかの共同体に籍をおいている限りは、一定の『壁』は必要である。そのことで共同体の日常はスムーズに送られる。日常において係数 A を度々に反応させていたのではノイローゼになってしまう。ただ、イザというときは、「壁」を乗り越えることが必要になる。だから、自分の意思で自分の「壁」を操作する術を覚えればよいことではないだろうか。
また、「個性は生まれつき備わっているもの」「経験しないものは理解できない」「情報は変化しないもの」という説明も「一元的」過ぎるきらいがある。
字数の関係で多くを語れないが、例えばイチローの「天才」的能力の説明で、「知覚系の神経細胞から情報が入って、それが運動系の細胞に伝わるまでの間に、沢山のシナプスを経由する・中略・(イチローは「天才」だから「生まれた時から」)いくつかのシナプスを途中で省略している」とその「天才」的能力を説明する。私は昔剣道をしていた。相手と向かい合って、相手の動きを見て、スキがあることを認識して、理解して、剣の出し方を考えて、それから的確に剣を出す、などと思考をめぐらせていたのではその前に相手に打ち込まれてしまう。途中の「シナプス」を飛ばすことを練習によって身に付けてきた。相手のスキを見た瞬間には体が反応して既に剣が出ているぐらいでなければ間に合わない。イチローも人一倍の努力によってそれを体得してきたのだと思う。彼の知覚能力が「天才」的に他人よりも優れているのかも知れないが、「天才」一歩手前の人と格段に離れているとも思えない。「個性教育」への反論のために強調されているのかも知れないが、少なくとも「二元」論を主張する人が「天才は元々天才の素質を持って生まれる」と「決め付け」ることの意味が理解できない。
なぜベストセラー?
その他同調する部分も疑問な部分もあるが、いろいろと認識論について考えさせてもらえる楽しい本であったことは間違いない。総じて言うなら昔から展開されている「多元論」的思考のザックバラン版ということであろう。ただ、なぜ300万部以上も売れるベストセラーになるのかがイマイチ理解できなかった。多分、「バカの壁」という「バカ」の言葉の響に「壁」が反応して買わしめる本であったのかも知れない、と思っている。