2005. 6.17 藤島公平
今回も経営とは直接関係しないが、広くいえば人材教育に関係することだと思って書いた。
最近、地元の山口県でいじめを苦にした自殺や爆弾事件が起きた。もちろんいじめ問題は山口県に限らず全国的に深刻な問題になっている。
このような問題がおこるとマスコミなどは「いじめを許した教育現場の責任」を大きくとりあげる。「学校はイジメの存在を認めるのか」「イジメの実態になぜ教師は気がつかなかったのか」「イジメをした生徒はだれか」と教師や同級生達への犯人探しが始まる。
ところで、いわゆる「イジメ」とは何であろうか。子供達がふざけてからかったり、いたずらしたりしてもそれを受ける側にとってはイジメになりかねない。つまり「イジメ」とは主に「イジメ」られた側の受け止め方によるためである。もちろん相手がいじめられていると感じていることを承知の上でサディステックにイジメを追い討ちするような子供がいることも現実だろう。まさにイジメを確信犯的に行っている場合もあるだろう。
問題なのはイジメという感覚が無く「イジメ」ている場合である。子供時代というのは、社会的な規範への意識が育っていないので、相手が嫌がることをよく理解しないまま、いたずらしたり、からかったりすることがある。その延長でケンカも起こる。ある意味では、このような子供の対立の中で自分が嫌なこと、痛いことを知り、合わせ鏡として相手が嫌がること、痛がることを知り、対立や協調を繰り返しながら人間関係を学んでいるともいえる。
私はそのような実体験を通して人間関係を学ぶことが大切だと思っている。そのような体験が乏しい人間が「大人」となって社会に出て、何か嫌な経験をすると簡単に「キレ」て暴走してしまうのではないだろうか。嫌なことの処理の方法を学んでなくて、相手の嫌がることの程度を測りかねているためのことではないだろうか。
私は、前述の子供の成長過程から考えても「イジメ」が無くなることはないと思う。「イジメ」を根絶すると宣言をする学校があるが、子供たち全員が「宗教的な良心」に芽生えたとしても無理だと思う。いや逆に、子供からいたずらやケンカを取り上げたら、社会の規範のみを意識した面白みのない子供しか育たないように思う。子供達はお互いに対立したり、協調したりするなかで育つものだと思うからである。
数ヶ月前に、四人の中学生が洞窟で火遊びをして中毒して死んだ。大変痛ましい事故である。そのとき、警察は全国的に洞窟の実態を調査して、危ない洞窟の全てに蓋をして人が入られないようにした。この反応が私には疑問である。彼らが洞窟で遊んだことが悪いのではなく、火を焚く場所がまずかったのであって、子供たちに教訓を生かして「もっと火を上手に焚こう」「火や煙の怖さを知ろう」と教えようという発想になぜなれないのか。問題が起こると、とりあえずトゲのあるものを除去してしまう姿勢が問題である。それよりトゲの「刺さらない遊び方」「トゲが刺さってもその取りかた」を教えようとはなぜしないのか。
同じくイジメ問題も、当面の犯人探しだけに走るのではなく、子供の「イジメ」に対する実態をもっと直視して、「いじめに負けない育て方」に重点を置くべきだと思う。そのためには教育現場だけでなく、もちろん家庭でも「イジメ」に負けない強さと、「イジメ」を受けている人を助ける勇気を教えることである。
しかし「その強さがないからといって、いじめられてもよいのか」という声が聞こえてきそうである。だけど、学校や社会からいじめが根絶されない限り、子供がいじめられて嫌な思いすることを続けさせてよいのだろうか。
「いじめが根絶できないとは、努力が足りないからだ」という声も聞こえそうだ。だけど、社会や学校からイジメを根絶する責任は誰にあるのであろうか。また誰ができるのだろうか。警察は法律に基づいて活動しているわけで法律違反でない限りは対処できないのが実態である。学校は、教育現場で教師の目に付く範囲での教育的指導としてしか対処できない。しかも子供たちのいたずらは、大人や教師の目を盗んでするもので、簡単に見つからないのが私の子供時代からの経験でもある。「イジメ」の根絶を警察や学校に求めても無理ではないだろうか。
「いじめられている子を助けると今度は自分がいじめられる側になる」という声も聞こえてきそうである。実際そのようなケースがよくあるそうである。だけどそれこそ勇気がいる行為なわけで、その勇気を子供の成長現場で、実体験で学ぶよい機会と考えるべきではないだろうか。勇気とはルールの決まったスポーツ活動やクラブ活動の世界だけでは本当には育たないのではないだろうか。ルールなしの場や雰囲気のなかでこそ勇気が必要になるわけで、自立心も合わせて育つのだと私は思う。
私が強調したいのは、子供たちに、直面する問題から逃げることを教えることではなく、子供たちが自分たちの方法で対立や協調を繰り返すことや子供の発想での冒険をすることも大切なことだと思う。それを大人が「危ないから」とか「ケンカになるから」といって要因を摘み取ってしまっている現状がある。そのかぎりは、子供たちは、より陰湿なイジメやより陰湿な「遊び」に向かうと思うし、いじめられる子は益々逃げ場のない状態に追い込まれるのではないだろうか。