No75.検査機関の言い訳にならない「言い訳」

                                               2005.12.12


 マンションやホテルなど高層建物を中心に構造計算偽装の問題が広がっている。その問題の渦中にある民間検査機関がテレビなどに出て説明する「言い分」がふるっている。

 「もともと一級建築士ともあろうものが偽装などしないという前提にたっていた」「性善説で対処していたので、こんな不法なことをする人間がいるとは思えなかった」と。

 では、検査機関なるものは何を検査するのが仕事だったのか。検査という以上は、不備なもの又は違法なものが想定された上で、それとの対比が必要だから検査されるのではないのか。建築基準法にもとづいて、建ぺい率や高さ制限などの検査も規制値を超えてはならないとするために検査するはずである。それは建物間に一定の空地をつくることで火災時の被害を最小限に食い止めたり、日照権の問題など生活権にかかわる問題もあって、過去の反省や工夫から出来た規制であったはずである。
 今回問題となっている耐震基準も、過去の地震被害の経験と今後に予想される巨大地震への対処から特に近年重視されていたものである。しかも、建物の場合、一端建設されたものを簡単には修正ができないからこそ、建築前に検査し、基準に適合するものみに建築を許可するのではなかったのか。
 その検査がいい加減だったことを追求されて言う言葉ではない。子供じみていて聞き苦しい。

 百歩譲って、検査機関が性善説に立っていたという言い訳を認めたとして、「だから何だ」と問いたくなる。だから検査で違法なものを見逃した責任が回避されるとでも思っているのだろうか。
 先日、JR線でスピードの出し過ぎによる転覆脱線事故があった。会社から運転士に日常的に重圧があったためにその事故が引き起こされた可能性もあるが、許される以上のスピードを出して転覆の原因をつくったことによる運転士の責任は逃れられない。
 大型トラックの運転士の居眠り運転を原因とした事故が絶えない。彼ら運転士も言い分があるだろう。会社の管理体制があまりにも過酷なために、居眠り運転が予測されるような過剰な労働が強いられているからだと。しかし、その運転士も業務上過失で逮捕されて責任が追及されている。

 どのような業務も顧客はもちろん、同僚など人との関係で仕事をする以上は責任が付きまとってくるものである。その仕事の結果によって他に損害を与えることとなった場合は、第一義的に責任はその業務をおこなったものにいく。そして責任追及はその業務を指示し、監督するものにも行く。これが当然である。そうでなければ、責任ももてないものが他人の命や財産を預かってする仕事をしてもらうのは大変恐ろしいことになる。

 今回の耐震偽装問題については、計画的であったかどうか、事前に知っていたかどうかの疑惑の追求は必要であるが、業務上の責任については善意悪意に関係なく業務を行った関係者全てにある。
 偽装した設計士はもちろん、元請の設計会社、建築会社、販売会社、検査機関、そして検査機関を認定した国のすべてにある。それが事故に対する責任の当然の取り方である。過去もそうだったし、今後もそうである。

 そのことと刑法違反は別であって、それは警察・検察当局にまかせるべきことである。今となって責任逃れの「言い訳」は意味も無く、みっともなく、ただ恥ずべきことである。



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