2006. 1.12 藤島公平
年末年始と耐震偽装問題にゆれている。そのなかで昨日のNHK・BS1でフランスのメディアが制作した、「エンロン倒産」と題するドキュメンタリー番組があった。エネルギー産業を中心とした巨大なコングロマリットとして成長したエンロンがなぜ倒産したのかを追及している。
エンロンの倒産については組織的な不正経理による粉飾決算が原因のように認識していたが、その背景はとんでもなくおぞましい偽装体質にあったことを知った。
エンロンは常に「経営革新」を追及していたが、その目的はエンロンの経営層にとっては「いかに利益率を上げるか」にあったと。その結果、経営層の多くが「高利益率の追求」を競い合い、挙句のはてには経済詐欺まではたらいて巨大な利益を追求するまでになっていったという。
一つの例が、カリフォルニア州での電力供給詐欺である。
エンロンは電気事業も独占していた。ある時期からカルフォルニア州への電力の供給をに意図的に減らし、慢性的な電力不足を作り出した。一方で他の地域には電力を過剰に供給して、広範囲な需給状況を極端なアンバランスにした。その上で、電力不足のカリフォルニア州への電力の確保を名目にして、自ら供給したはずの電力でありながら、他の地域から「高値で買ったから」といって電力料金を不当につりあげて、カリフォルニア州に供給して巨額の利益を上げたという。
これに関わった担当役員達の内部での電話でのやりとりが録音されていた。お互いに詐欺的であるという認識はありながら、「あくまでもマーケティングだよ」と言って含み笑いをしあっていたのが印象的だった。まさに「おぬしも悪よのう」とうそぶく強欲商人のドラマをみるようであった。
もう一つの例が、インドでの発電所建設とその後の電力供給事業にまつわる詐欺である。
エンロンはインドでの経済発展の後押しという「社会貢献」を宣伝文句にして、インド政府に発電所建設を売り込んだ。そしてアメリカとインドの両政府の応援を受けて、インドの自然豊かで静かな農漁村の一体を開発し、発電所の建設をおこなった。ところが、その発電所の完成後になって分かったことは、地元では大変高額で電力を買い取り続けなければならないとする契約とが一体であったということであった。地元の知識人はいう「エンロンは地域発展のためにはエネルギー効率をたかめることが必要だと言って発電所建設を売り込んだ。しかし、こんな効率の悪いエネルギーでは地域は疲弊するだけだ」と。そして「エンロンが倒産してくれて助かった。自分たちは将来にわたって大変高額な電力を買うはめになっていたことからは解放された」という。しかし、建設に40億ドルかかったという発電所は現在も稼動せず廃墟となりつつある。元々あった自然豊かな景色は破壊されたまま戻らない。
番組の中で、エンロンの不正を内部から指摘してきたという「元副社長」の女性は言う。「利益追求の結果、経営革新と経済詐欺とは紙一重になっていた」と。
どこの経営者も経営革新は望むところである。問題は「何のために」の部分である。経営革新(技術革新も含む)によって、より改良されたり、よりコストを押さえた商品やサービスを市場に提供することで、利益を得ようとする。また、よりスピーディーにより手際よく商品やサービスを市場に提供することで、利益を得ようとする。他方で、利益を得るために、質は問わず利益を稼げる商品やサービスを市場に出そうとすることが考えられる。
しかし、後者は市場という媒介を通して成り立つものであろうか。よく「悪貨は良貨を駆逐する」という。悪貨という品質が悪い貨幣が良貨よりもより多く市場で取引されるようになるということである。ユーザーにとっては悪貨も良貨も消費物ではなく交換手段に過ぎないのであるから、悪貨の方が交換手段として容易に手に入りやすいものであるから多く流通するようになる。一方で貯蓄用にする貨幣を選ぶとすれば、その貨幣そのものに内在する価値が問われ良貨を選ぶようになり、良貨は市場から隠れ、悪貨が市場にあふれることになる。
しかし、その原理は一般的な商品やサービスにも通用するものであろうか。前述する「改良された商品やサービス」というのはユーザーにとっては使用価値であり、消費価値である。その商品やサービスそのものがユーザーにとっては「他よりより良いもの」であるから購入する機会が増える。そして企業には利益をもたらす。また「コスト削減」によって、市場で同様の使用価値、消費価値をもつ商品やサービスであるならば、他よりも価格が安ければ消費者はそちらを購入する機会がふえるし、他よりも「よりスピーディーでより手際よく」ユーザーに商品やサービスが届けられるから、消費者はそちらを購入する機会がふえて、その企業には利益をもたらす。つまり市場で歓迎されたから、それを供給した企業にとっては結果として利益につながったということである。
では、質は問わず利益を稼げる商品やサービスが取引される市場というものはどういう状況であろうか。それは競争という環境が停止された状況だから可能になるのである。それはエンロンのように市場をほぼ独占していて、ユーザーが他を選択する余地がない状況か、もしくは「黒を白と思い込ませる」詐欺商法でしか考えられない。
市場独占については、資本主義経済の一つの帰結でもある。しかしそのことによる社会への悪影響を考えて、日本では独占禁止法などの形で政治によって防止しようとすることがなされている。極めて政治的な問題である。
一方、詐欺商法については、第一義的には経営者のモラルの問題である。しかし、エンロンの詐欺のように大規模であればある程、その詐欺行為は発覚しにくく、被害はより広範囲に及ぶ。その大規模性の手助けをしたのがブッシュ政権であったと先のドキュメンタリーは指摘している。つまり詐欺商法も大きくなると政治的である可能性は高いということである。
話を元に戻すならばエンロンの元副社長氏のいった「利益追求の結果、経営革新と経済詐欺とは紙一重になっていた」という言葉は重く受けとめる必要があると思う。
最近、「六本木ヒルズ族」に象徴される経営者たちが繰り広げる経営支配権争いをみていると、「企業価値を高めるため」といいつつ、「企業が目標とすべき質とは何か」がよく見えず、株価換算した場合の「一時的な企業価格」が高まることのみに視点がいっているようにしかみえない。もし彼らの行為が「一時的に企業価格」をつりあげることを目的にしているのであれば、これも経済詐欺の一種といえないのだろうか。
私が想定する企業像は、企業として継続的に市場に商品やサービスを提供することによって社会に貢献し収益をあげ、従業員や取引先に収入をもたらすということである。つきつめれば企業には、提供するものの質と継続性こそ求められるものだと思う。そして継続経営のためには利益を上げる必要がある。
ところが、先の「ヒルズ的経営者」の主眼は、提供するものの質と継続性ではなく、「虚構の質」と「一時性」にあるようにしか思えない。
「虚構の質」の視点に立てば、選挙に出て負けてもよいし、大いにマスコミに登場することも必要になる。プロ野球チームの上場騒ぎも役立つ。より「劇場化」した方が「虚構の質」を高めるために役立つのである。また、「一時性」はある短期間に急激な変化を生むことである。これこそが彼らの望むところである。安く買い、高く売り抜けるためにはもってこいの環境である。「企業価値」が徐々に時間をかけて向上することは望まない世界である。一時的に急激に変化することこそ大切なのである。「虚構の質」は「現実の質」になる必要はない。世間の人が「劇場化」に注目して株を売買してくれることこそ彼らに利益をもたらす。しかしその後、その企業の質の行方はどうでもよいこと。金儲けは次のターゲットに移っていく。
重要な点は、彼らの経営観には社会貢献という視点が欠如していることである。「利益を上げることは企業経営者として当然に良いことである」という点のみがクローズアップされていることである。その視点に立てば、「手段は何であろうと利益を上げることは善である」となり、結局は、エンロンのごとく一線を越えるためのハードルは極めて低くなる。というよりすでに一線を越えているのかもしれない。ただ、今の段階で発覚していないだけなのかも知れない。
彼らは前述のエンロンの担当者のごとく、こういう会話をしているかもしれない。「世間のやつらは馬鹿ばっかりだから、少し演出するとすぐに乗ってくる。お陰で大儲けさせてもらえる」「他の者がまねできないことをするのが経営の真髄だから、手段を選ばないのがなぜ悪い」「文句があるなら自分もやってみればよいじゃないか」と。私の企業観や価値観とは明らかに違っている。
あっ、そういえば「劇場化」でうまくいった人がいましたね。あの人もそうなのかな・・・。
※追伸 この文書をアップロードした四日後の1月16日の夜、東京地検特捜部が「ヒルズ族」の一つであるライブドアに強制捜査に入ったというニュースが入った。今後の経過を注視したい。