2006. 2.23 藤島公平
会社法がこの五月にも施行されようとしている。私の仕事にも関係があるので新会社法については早くから研究してきた。そして、研究すればするほど今回の会社法のなかに秘められた危うさが気になってきた。
新会社法は平成9年当時からの商法の改正の流れの集大成ということである。従って今回の会社法の施行によって初めて出てくるものでないものもある。その前提で会社法をみたとき、その大きな特徴は、企業統治、いわゆるコーポレートガバナンスのしくみを強化できる企業づくりを支援するとなっている。このことは最近の大企業における不祥事への対応としては当然のことかと考える。
ところが一方で、資本概念が大変アバウトになるということである。つまり企業の評価基準が大変あいまいになるということでもある。
最近、ライブドアの粉飾決算が問題になっているが、今回の粉飾は、過去によく見られた架空売上げによる架空資産の計上というパターンとは少し違っている。もちろん今回のライブドアの粉飾行為には、子会社の資金を親会社との架空取引で利益に付け替えるなどの古典的な粉飾もみられる。
しかし本来、株式の売買利益は資本勘定に計上しなければならなかったのを、営業利益に付け替えたということが中心になっている。つまり資金的な裏づけはあるが、ルールにあっていないということになっている。従って企業会計に詳しくない人にとっては「何でいけないの」とキョトンとなる面もあるのかなと思ってしまう。もちろん株式を公開している以上、その企業の経営情報によって株価が左右されることを考えると「何でいけないの」では済まされることではない。
ところが、会社法が施行されると、資本勘定の中のいわゆる資本金や準備金、剰余金の区別があいまいになる。また準備金の中での区別である営業の利益の積み立てである利益準備金と、新株発行や自己株式の売却により得た資金のうち資本には組み入れなかった部分の積み立てである資本準備金との間の垣根も低くなる。もっというなら、資本金、準備金、剰余金の区別があまり意味をなさなくなる。さらには、債務だって現物出資ということで資本に組み込まれることも想定される。結局は、資本の姿がその企業の実態を現しているとは必ずしもいえなくなる。
ライブドアの堀江元社長が、株式の極端な分割や時間外取引で大量の株式を取得した時に、マスコミなどの批判に対して「いけないことなら法律に書いておくべきだ」と言っていたことを思い出す。つまりまた、この会社法が施行されることによって、少し社会への挑戦的な考えを持った人間であれば、また堀江元社長のように法律の合間をかいくぐって、「資本の膨らまし」や逆に「資本の食いつぶし」などによって「想定される」企業の利益とは違う利益を取り込みような、企業統治とはかけ離れた方向に進む「経営者」が出てきそうに思う。
しかも、公開会社であっても発行株式の二分の一までは議決権制限の株式を発行してもよいとなっている。つまりは、一般投資家の株式は議決権制限の株式となる可能性が強くなる。そうなると既存の経営者による企業の株式上の支配権は簡単に揺るがない一方、企業の運営に一般投資家の意見は益々反映されなくなる。
このことは企業統治の概念とはかけはなれている。私は、このあたりの会社法の危うさをどうしても払拭できない。