No79.村上ファンド事件と会社法

                                               2006. 6. 6 藤島公平


  

  昨日、村上氏が逮捕された。彼も堀江氏と同じく 「金儲けしてなぜ悪いんですか」 と疑問を言った。

 かつて「儲け」とは、何かを造って売ったり、何かのサービスを提供したりして得るのが一般的であった。だから株式への配当は資本取引による利益から出されずに、営業による利益から出されていた。また企業は、社会に製品やサービスを提供して社会生活などへの便益を提供するということで、企業の社会的役割とか社会的貢献とかが評価されてもいた。

 ところが、今年五月に施行された「会社法」的考え方では、「儲け」とは従来の「儲け」とは別に、もう一つあることが法的に公認された。それは資本の増減によって得た利益も株式への配当原資としてよいという考え方である。つまり資本の増減の努力もりっぱな企業活動であると認定したのである。

 つまり売上、仕入といった損益過程(P/L的側面)からの利益だけでなく、資産運用という、依然は副業的意味合いが強かった貸借の増減過程(B/S的側面)からも利益を得る道を会社法は公認したのである。

 B/S的側面から利益を得る道とは、時価換算された資産−負債=資本の計算式が基本で、その計算によって計算上増えた資本は利益を生んだことになる。つまり「儲けた」のである。そのためには含み価値をもつ資産を取得運用することが一番の早道である。まさに株式は適任で、有価証券を投機的に売買することで短時間に資産を膨らませることも可能である。通常、どんな大企業でも経常利益率は一ケタ台がよいところである。ところが資産運用となると利益率は半端なものではない。そしてその利益は「会社法」では株式への配当資金となるような立派な「儲け」をあげたことになるのである。

 しかし、その「儲け」の過程において特定の株主以外には何も貢献することはない。「儲け」る過程で社会の経済的寄与もあまりない。

 つまり「会社法」は従来の生産的で社会貢献的な経営スタイル以外に投機的で非生産的で「儲ければいいんでしょ」「社会貢献なんてクソクラエ」の経営スタイルを公認したのである。

 「会社法」では村上氏や堀江氏のような株式投機により利益を獲得することは「善」であり、公認されていることなのである。ところが、今彼らは容疑者であり被告人になっている。まさに「会社法」的考えに先進した彼らが、社会から非難を受けているのである。
 ということは、「会社法」が期待する経済社会と現実の人間社会との間には相容れない矛盾があるのではないだろうか、と私は考えてしまう。

 そして、そもそも「会社法」の考え方は経済の発展に寄与するのだろうか、という疑問にたどり着く。「会社法」の設立は、アメリカを中心に蔓延している経営の投機化現象にただ追随した結果の法整備ではなかったのだろうか。

 最近の一連の事件は、私にとってはますます「会社法」的経済社会に対する疑問をもたせることになった。 




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