No85.報道とアンケート(=マッチ&オイル)におもう

                                           2010.2.15    藤島公平

  

  「ある人間の発言が波紋をよんでいる」という。マスコミがいつも使う「街角の声」ということで編集された「世論「とういうものを流す。  ときには、「街角の声」もなしに、コメンテーターの発言のみで「波紋」を言い立てる。その結果「世論」というアンケートに反映して大いに勇みだつ。

 昔「マッチ&ポンプ」という皮肉交じりの言葉があったが、今や「マッチ&オイル」の様子。  今、小沢氏や鳩山氏の金の問題でかまびすしい。民主党だから「金にはクリーン」というイメージを崩す出来事らしい。しかし、多くの国民は民主党も自民党も同じようなものだという安心感から、民主党への「劇的な」政権交代を望んだのだと思う。「同じようなもの」ということは「金」の問題も「同じようなもの」ということは承知の上。ただし、政治の変化を求めて民主党を中心とする政権を選んだのだろう。
 もし「同じようなもの」という前提で選んだとすれば、体質は別として、当面のそれぞれの政策の違いこそ大事であったはずである。

 民主党政権の「事業仕分け」や子供給付金などの「下からの需要喚起政策」、「普天間基地の移転問題」などが私たちの生活にどう影響するのか、今後の日本だけでなく、世界情勢にどう影響するのかが一番の重大事である。ところが小沢というもともと叩けばホコリがでることは当たり前の人間の問題で重大事がかすんでしまっている。
 朝青龍の件にしても、冬期オリンピックへの参加選手が「ネクタイが曲がっている」だの「マスコミへの応対が横柄だの」・・・・私から言わせると「あんたたち日常の姿勢がどの程度すばらしい品性の持ち主かわ知らないが、私にはそうは見えないあんたたちがよく言えるよな」といいたくなる。

 ところが、その都度、マスコミの報道の「騒げば金(視聴率UP=広告料UP)になる」の報道の本質的姿勢により私たちは翻弄されていているのではないか。

 日本のマスコミは、時には権力におもねり、時には少し反権力的になりながら、結局は権力に擦り寄る体質は変わっていない。だって権力の下支えをしている企業(スポンサー)の広告料で食っているのだから。

 筑紫哲也氏が亡くなった時、多くのマスコミ人は、「彼こそ戦う姿勢を失わなかった報道家」であるといっていたが、そう言う貴方たちのどの程度の人たちが普段から彼をどのように応援していたのか。当人が死んだ後では何とでも言える。筑紫氏もあの世で「あんたがよく言うよ」といっていることだろう。報道人の中には「彼こそ最後の正義の報道人である」というようなことを言っていた人がいたが、私から言わせれば「彼を最後の人にしてはいけないのじゃないか」、なんということをいうのだ。あんたは彼を尊敬するのであれば、「最後の人」にしていいのか。結局は「最後の人」といいつつ「報道人」の使命から逃げたいのではないのではないかと大いに疑ってしまう。

 いずれにしても、マスコミは今や、警察権力や官僚権力や暴力団権力をしのぐ勢力に成長したようである。そのマスコミ権力のいやらしさは、他の権力と違って「公正さ」を装っていることである。他の権力ほど無骨ではない。だからこそ、私たちにはその脅威が分かりにくい。

 こんなことを書けば「報道の公正さに対する挑戦である」という恫喝が聞こえそうだある。しかし、少なくとも日本のマスコミは「公正さ」を装った、第三の権力にのし上がったことは間違いないと確信をもって宣言する。そして、いつも「正義」面をしながら、世論をかき乱すことこそ彼らの商売の領域を確実にする方法なのだという本質を皆が腹にとどめておくべきでああると思う。つまりは全てウソとは言わないが、半分以上はウソが混じっているという覚悟でマスコミ報道を見聞きすべきであると思う。




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