2012.1.3 藤島公平
昨年は世界各国で民族対立や宗教対立の様相に加えて、所得格差や経済格差を根源とした騒乱や抗議運動が多かった。
多くのメデアも世界情勢を語るとき所得格差の問題を指摘するようになってきた。ところがその解消法としていうのは各自の自助努力を求めるのが定番である。 特殊な技術で頑張っている企業を紹介したり、ある地域で地域をあげて所得をあげる取り組みをしているとか、地域で昔のような「贅沢」をなくして「もったいない」精神で再利用(リユース、リサイクル)に取り組んでいるとかの報道が多い。これは、暗に「貴方の頑張りようが足りないのだ」といっているようである。
しかし、今の状況は頑張っても解決できない環境におかれている人が多いということである。結果が平等でないといっているのではなく、機会が平等でないということである。しかもその機会の不平等が益々拡大しているため、同じように頑張っても結果は極端に不平等になっているという現状にこそある。
そのことに目をつぶるマスコミ迎合の多くの評論家は「世界経済の流れとして受け止めざるを得ない」式の抽象的で他人事のような評論が多い。一方で無批判に消費税率引き上げ賛成を口にするのである。
もちろん各自の自覚した頑張りに期待すべきことは大きいことには違いないが、現状の所得格差の現状は、各自の頑張りでだけでは解決できない程深刻で、もっと本質的な解決方法を考えるべき状況に至っているということである。そして私はその本質は所得の再配分機能が壊されていることにあると指摘したい。
日本では戦後の税制では所得の再配分機能として税率の累進性と贅沢品により厚い物品税があったはずです。累進税率は80年代まで最高で75%あったのが、現在では40%まで引き下げられている。物品税はタバコ、酒、ガソリンなどを除いてほとんどなくなり、消費税に換えられてしまっている。
累進課税を緩和する時の政府の主な説明は
@ 世界的に高い税率のために外国の人材が日本に入ってこない
A 高い税率のために労働意欲を阻害することになる
ということだった。しかし今や「グローバルな」所得格差の拡大のなかでその説明は意味をなさなくなっている。
私は、法人税は企業の競争力のアップや適度な資本蓄積のために税率を下げることに賛成である。企業が利益を上げた結果で直接反映する役員報酬、賞与、配当金にこそ高い累進課税をかけるべきである。結果は中小企業の経営者や大企業でもサラリーマン経営者には大きく影響せず、極端に高い報酬や配当を得ているほんの一部の経営者または大株主にこそ影響が及ぶものである。
そのことで、今さら「優秀」な外国人が日本に来なくなるとか、「優秀」な日本人が海外に逃避するとかを言うのなら、それはそれでよいのではないか。
これらの現状をよく説明する文書をネットで探したところ、同じような意見を持つ人が多いことが分かった。その中から木村隆介氏のサイトにある「木村隆介の目指す日本と世界」からの一文を紹介する。
http://blogs.yahoo.co.jp/b747400pilotkimuratakasuke/15642530.html
「高額所得者、高財産の人達の層が、社会的な影響力や発言力を背景に、どんどん自分達の都合の良いように社会を変えて来ました。お金持ちがどんどん潤う仕組みが出来上がりつつあります。
富める層が自分達の富に執着した結果として、その人達自身が、今度は社会の反発や、自分自身の情緒的なレベルの低下による不利益をこうむる時代になりつつあります。
アメリカが手本と言いながら、実はアメリカの、高額所得者優遇税制を、国民に黙って、そっと真似して、段々と高額所得者に有利な税制に変えて来たのが戦後の歴史です。
貧富の差こそ多くの問題の元凶です。貧富の差が心の荒廃や犯罪を生みます。働く人のやる気を無くします。将来への希望を失わせます。ニート、フリーターも増えます。結婚出来る経済環境にない人達や、子供を育てる環境にない人達が増え少子化が進行します。税収も増えません。福祉予算だけが増殖します。赤字が増え財政が破綻します。深刻な不景気がまたやって来ます。まさに悪循環です。
一部の人が得したつもりが、結局は富める人にも負の影響が及びます。 格差はイコール所得格差です。正社員と非正社員、大企業と中小企業、都市部と地方、という色分けで顕著です。あまり非正社員には目を向けない組合が、一番代表的な格差である企業内格差に拍車を掛けているという面もあります。
個人の所得税は、年間の所得が多い程、その税率も高くなっていることは誰もが知っています。その累進性について、たび重なる税制改正の中で、累進の勾配がゆるやかになって来ています。一昔は高額所得者の税率は、普通の人の税率に比べて非常に高くなっていたものが、それ程までには高くなくなりつつあります。これについては、欧米ではどうだからとか、働いても高額の税率では労働意欲が無くなるからとか、色々な理由がつけられていますが、果たしてこれがあるべき姿なのでしょうか。
これではやがてアメリカのような、一握りの裕福な人達と一般の人達との二層化が進み、公平な社会とはなり得ません。何が本当に公平かに目を向けてゆかなければなりません。
本来納めるべき高額所得者の税金が少なくなったのが、税収を減らす一番の要因です。裕福な、そして社会に影響力のある人達の思惑による累進課税カーブの緩和は、財政再建にとっても、社会のシステムにとっても害となるものです。
高度成長期は、1億円の所得があっても、2千万円しか手元に残りませんでした。今は6千万円残ります。高額所得者に対して、その所得の半分以上を税金で持ってゆかれるという制度の是非には色々意見があるでしょう。しかし、高額所得者だからこそ、その所得は、社会から得たものである、だからお返しをして社会に役立ってゆこう、そういう納税の本来の趣旨からすれば、自分で稼いだものだから自分のもの、ではなく、誰彼のおかげという気持ちのあらわれとして、カーブの大きい累進性こそ、自然な形です。
また、選挙の票を得るために段階的行われて来た、税金をそのまま減らす、税額控除も、拡大し過ぎたものを、縮減、または廃止すべき時期に来ています。 さらに、いくら所得が低くても、たとえ僅かでも所得税はじめ税金を払うことが、社会参加のあるべき条件です。課税最低限という概念は撤廃すべき時に来ています。
富める人には、収入や資産に応じた社会的責任というものがあります。自分のものとばかりに我利我利になるのではなく、その富に応じて社会に貢献する人こそ、本当の豊かさや幸せを感じられる人であり、そのための所得です。
所得税累進制度は、景気や働く意欲のさまたげになるのかを考えた時、高度成長期に、今よりも累進カーブがもっと高額所得者にとって大きかった時代に、さまたげになっていないどころか、大きな貧富の差を否定した中で、むしろ全体としての働く意欲を刺激して来ました。
アメリカで高額所得者が、一般の人々に比べて極めて多い所得を得ていることは、中間所得者の搾取や労働意欲を阻害することにつながっています。所得税の累進勾配については、欧米に習う前に、むしろ欧米が見習うべきほど優れた税制だったのです。
資本主義のシステムにおいては、格差を生む制度を民意で正してゆかなければ、その差がどんどん広がってゆくばかりです。 所得税の累進勾配の緩和については、議会でもマスコミからもあまり反発が無く、一見世論の支持を得られているように見えますが、ここで忘れてはならないことは、議会を構成する人達も、マスコミを構成する人達も、皆それなりに高額所得者で、累進性緩和の恩恵にあずかっている人達だということです。
また、サラリーマンの負担増反対が叫ばれる中、サラリーマンにも、高所得の裕福なサラリーマンと、低所得の裕福でないサラリーマンがいることを忘れてはなりません。一律ではありません。
税率だけではありません。各種の控除によって、お金持ちや社会的に力のある人や会社や団体へ税金が不当にかからなくなっている現状をあらためなければなりません。いわゆる控除天国です。全ての控除を一旦廃止するくらいの施策があってしかるべきです。
また、資産家優遇とよく指摘される、株式の利益などを分離課税のままにするか、総合課税にするかの問題にもメスを入れなければなりません。
声無き声が封じ込められている、そして改悪が多くの人から見えないように隠されているというのが、税制改革の実態です。
税金は、自らを支えてもらっている人達への還元でもあります。大企業は中小企業に支えられています。正規雇用者は非正規雇用者に支えられています。誰かに支えられて今の暮らしがある、そこに目を向けずに、自分で稼いだものは全て自分のものとばかりに生きていれば、やがて滅んでゆくのは自明の理です。
社会に生きる、生かされている個人にしても会社にしても、そして国際社会に生きる、生かされている国にしても、富を再分配するという前提があるからこそ、高い所得、儲け、が許される。そこを忘れて、富を一人じめにしようとすれば、やがてその当事者が社会から反発され、受け入れられず、自滅してゆくことになります。自分が繁栄を続けるためには、他者をいかに潤わせるかを考え行動する、そこに尽きます。」